軽快な足音を立てて、ギャスパーくんが走ってきた。
 後ろから歩いてくるサバーバンドさんは、困ったものだと言わんばかりに首を横に振っていた。
 目の前でギャスパーくんが、急ブレーキをかけるように立ち止まった。
「今朝、呼びだしに来なかっただろ。王子たち、がっかりしてたぜ。どうしたんだよ」
 いや、どうしたもこうしたも、疲れて寝てたよ。
 ……なんて事は言えない。
「ちょっと頭が痛くて、それで」
 嘘ついた。ごめん。
「風邪ひいたのか。熱は」
 すかさず、私のおでこに肉厚の手が当てられた。
 やはり、感触が違う。向ける視線の高さも。……ああ、なんか私、相当ヤバイぞ。こんな風に比べるだなんて!
「熱はないみてぇだな」
「あ、うん、単なる頭痛だったみたい。今は治ったから」
 サバーバンドさんがギャスパーくんの横に並ぶ。
「そっか。なら、良いけれどな。けど、気をつけろよ。これだけ寒いしな」
「うん、有難う。ギャスパーくんは? 大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫。元から丈夫だし。寒ぃ事は寒ぃけどさ。その辺、スレイヴとは身体の作りが違うな」
 えっへん、と胸を張って言う。
「サバーバンドさんは?」
 すました笑みを見せるその人に問う。
「ええ、お陰様で私も何事もなく」
「風邪ひいている暇もないしな」
 と、ギャスパーくんがにやにやしながら、横から口を挟んだ。
「あまり会わないですけれど、忙しいんですか」
「ラルは、最近、王妃さまの護衛が多いからな。なんか、夜会って言うんだっけ? あんなんにも連れていかれてさ、自分よりモテてるってスレイヴが拗ねてた。スレイヴは王子付きだからさ。顔出しても、直ぐに引っ込まなきゃいけないんだとさ」
「へえ」
 らしい話だ。
 確かに、臙脂の騎士服がサバーバンドさんの銀髪に映えて、とてもよく似合っている。生来のものか、立ち姿ひとつにしても、貴族と比べて遜色ないほど優雅さが感じられる。そつのない礼儀正しさもあって、貴族の御令嬢の視線は集まりやすいだろう。もし、スレイヴさんだったら、ここぞとばかりに、あちこちの御令嬢を口説き回るかもしれない。それを想像して、思わず笑った。
「あんなもんの何処が愉しいかよく分らないけれどな。気取った連中ばっかでさ。仲間内で騒いでいた方が、よっぽど面白い」
 ギャスパーくんが言った。
 まあ、君はそうだろうな。
 癖の強いくしゃくしゃ髪を見ながら、微笑ましくそう思う。彼は、何処にいても変わらない。それが、とても安心する。
 と、その頭が傾げられた。じっ、と私の顔を覗き込む様にして見られる。
「なに」
 らしくなく、分析するかのような視線に思わずたじろぐと、
「おまえ、変なモンでも食った?」
 と、唐突に訊ねてくる。
「別になにも。いつも通りのもの食べただけだけれど」
 普通に朝ご飯っていうかブランチだったよ。パンと卵とスープと野菜のソテー。
「そうかあ? なあんか、いつもと違う感じがするんだけれどな」
 ひっ!
「……頭痛かったせいじゃないかな。ちょっと、元気ないかも」
 元より勘ぐるタイプではないから、それは野生の勘ってやつか!?
「そうなのか? ひょっとして、また具合が悪くなってきた? ああ、悪ぃ。ここ寒いもんな」
 ……あぁ、本当に、君のその素直な性格が大好きだよ。
「部屋戻るか。送っていってやろうか」
「ううん、いい。有難う。平気だから」
「そっかあ。気ぃつけろよ。おまえ、なんか、そこら辺でぶっ倒れてそうだし」
「ギャスパー、それは言い過ぎ。若しくは、少し言葉遣いを考えて」
 サバーバンドさんがそれとなく注意をいれる。そして、私に向かってにっこりと笑って言った。
「でも、キャス。もし、頭痛の原因がスレイヴにあるんでしたら、気にしなくていいですよ。彼も女性に振られるのは慣れていますし」
 ひぃぃっ! それってどういう意味で言っていますか!? 単に言葉通りに受け取って良いんでしょうかっ!?
「あ……有難うございます。でも、スレイヴさんが原因じゃないですから。単なる頭痛です」
「おや、そうですか。なら、良いんですが」
 笑顔が怖いよ。心臓バクバクだよ。
「それより、お仕事中なんでしょう。時間、良いんですか」
 それには、ああ、ギャスパーくんがうんざりとした表情を見せた。
「これから、ルスチアーノ騎士団長と打ち合せなんです」
 と、サバーバンドさんが苦笑して言った。
 ああ、だから、こんな所にいるのか。
「俺、あの人、苦手。なんか堅すぎてさ」
「そういう事、言うもんじゃないよ。あの人のお陰で、こっちも助かっているんだから」
「でもさあ、時々、すんげえ目付きで睨んでくるんだぜ、俺の事」
「そりゃあ、おまえが行儀の悪い真似をするから」
 二人の遣取りは、お母さんとやんちゃ坊主の会話の様だ。
 私は笑って、
「それじゃあ、もう行った方が良いですね。遅れると、また、睨まれるかもしれませんし」
「そうだね」、とサバーバンドさんが頷いた。
「こいつが良からぬ事を考える前に引っ張っていった方が良いみたいだし」
「良からぬ事ってなんだよ」
「さあ? キャスを利用して仕事をサボろうとか」
「んな事しねえって」
「どうだか。それじゃあ、キャス、また今度」
「ええ。また」
「今度、一緒に呑もうぜ! って、引っ張るなよ、逃げねえって!」
 本当に去っていく時まで賑やかだ。
 振り返って手を振る姿に、手を振り返して見送る。
 彼等も、徐々に、ランデルバイアの人達に受入れられつつある。
 彼等が移住してきた当初、やはり、表立ってではないが、ランデルバイアや、元より移住していたガーネリアの兵士達の間で抵抗があったみたいだ。ガーネリア再建の為、一時的なものと割り切っていても、やはり、元は敵だった者達だ。しかも、直接、相対しもして散々、煮え湯を呑まされ、少なからず仲間の命を奪った相手だ。素直に受入れられるものでもないだろう。
 だから、やはり、小競り合いみたいなものは頻繁に起きていたらしい。その度、ランディさんらが間に入って治めていたと聞いた。噂には、ランデルバイア騎士団長のルスチアーノさんの白髪が、一気に増えたとかいうのもあった。
 それでも、その中でギャスパーくんの気取らない性格が、功を奏した。身分や立場に捕われず、公平さを見せる素直さが、双方の仲直りに随分と貢献したようだ。一時は派手な乱闘騒ぎも起こした様ではあるけれど。けれど、市井で培われた喧嘩の強さが、逆に認められる切っ掛けにもなったようだ。……ほんと、男ってそういうところが単純。
 それにしても、ギャスパーくんは、今や下の王子の遊び相手として、お気に入りだそうだ。女王陛下も、これまで大事にばかりされてきた王子達にとって、学ぶ事の多い相手とみなした様だ。多少の無礼にも笑って、傍に置かれている。その辺は流石、女王陛下だ。そこらの姫君たちとは器量が違う。
 ただ、サバーバンドさんやスレイヴさんが、その分、フォローに苦労しているみたいだけれど。でも、彼等にしてみれば、慣れたものなのだろう。
 本当に良かったと思う。色々あったけれど、私も彼に、彼等の存在に救われた面もあるから。
 しかし、あの勘の良さは要注意かもしれない。サバーバンドさん、何か気付いたのかなあ。勘も良さそうだし、頭も良さそうだしなあ。ひょっとして、長年の禁欲生活から抜け出て、いきなりフェロモンとかホルモンとかが出ちゃってるとか? アストリアスさんも、なんか違うとか言ってたし……やだなあ。マジ動物っぽい。
 私は、ひとつ息を吐いて、また歩き始めた。




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