kumo


 ――人形みたいだ。
 叔父の横で行儀良く正座をする少女を見て、和真は思った。
 肌の色は彼とは対照的に透けるように白く、ふっくらとした頬は水蜜桃を思わせ、唇は春の庭に咲く花の色をしていた。両肩に真直ぐ落ちる振り分け髪の色は、淡い墨色の柔らかな光沢を放っている。瞳は伏せられたままで、影を落す長い睫毛が、ちらちらと細かく震えていた。
 くすんだ柿色の着物を身に付けてはいたが、手には、五色の糸で刺繍された見事な鞠を大事そうに抱えていた。
 対面に座る父が彼の名を呼んだ。
「この娘は、今日からうちで預かる事になった沙々女だ。まだ五つだが、両親を亡くして他に頼る所もなく、面倒をみる事になった。おまえも実の妹のように思って、優しくしてあげなさい」
「はい」
 その時、三つ年上の兄は塾へ行っていて、母も所用から少女と同い年の弟を連れて実家に戻っている最中だった。父が決めたこととはいえ、帰ってきた時、皆、さぞかし驚くに違いないと思った。
 沙々女がどういう出自の娘であるかの説明はなかった。ただ、縁あって、身寄りをなくしたところを叔父が引き取り、連れて来たのだと和真の父は話した。そのあいだ叔父は口を閉じたまま、端然と少女の横に座していた。
 聞けば、叔父は護戈一丿隊隊長として都に赴任が決まったという。しかし、寮に住まう身として、未だ年端もいかない少女を連れてはいけない。そこで、実家である和真の家で預かることになったらしい。
 護戈の隊長!
 護戈衆であることですら並ではないのに、それで隊長ともなれば更に別格の存在だ。まず、誰にでもなれるというものではない。それは身内にとっても栄誉であるばかりでなく、護戈に憧れる少年にとってはまさに夢のような話だ。和真はひとこと祝いの言葉を述べると、尊敬の眼差しを叔父に向けた。叔父はそれに薄く微笑み頷きはしたが、その瞳の色に微かな燻りが見えた。なぜか、叔父がこの出世を喜んでいないように感じられた。
 叔父の向けられた視線の先、和真はこれからこの家に住むという少女の方をもう一度伺ったが、変わらずの無表情で一言もない。ただ、手にする鞠の表面を愛おしむように撫でては、じっと眺めていた。
「沙々女、いいね。今日からここがおまえの家だよ。これから色々な事を学んで、健やかに育ちなさい」
 気遣わしげな叔父の言葉には、ひとつだけ頷いた。
 結局、最後まで少女の声を聞く事はなかった。叔父が去り際に、愛おしげにその頭を撫でた時も俯いたままで、泣く事もなかった。煩くないに越したことはないのだが、それは異性であるという以上に不思議な感じを和真は受けた。
 それは、和真がもうすぐ十二になろうかという、ある秋の日の出来事だった。
 和真の家で暮らす事になった沙々女は、それからも滅多に声を出す事はなかった。最初は和真も他の兄弟達も、口がきけないのだろうと信じた程だった。だが、何かの拍子に短く声をあげるのを聞いて、そうではないと知り驚いたくらいだ。
 それにしても、沙々女が他の子供達のように笑ったり泣いたりするところを誰も目にする事がなかった。たまに訪れた客の、可愛い子だ、大人になればさぞかし美しくなるだろう、と褒めそやす声にも、沙々女は黙って俯くばかりで、余りの反応のなさに褒めた者達の方が困惑して苦笑いを浮かべるほどだった。その代わり、言われた事には文句を言うことなくこなした。駄々を捏ねたり、我儘を言って困らせることもない。表情もなく、息をする事さえひっそりとその場にいるばかりだった。
 沙々女は、大人しいという以上にまさに人形じみていた。ただ唯一、たまに誰にも何も言わずに家を抜け出る事をのぞいては。
 鞠で遊んでいるかと思っていても、気が付くといない。元より存在感の薄い少女であるから、いついなくなったのか、いつからいないのか、誰も知らない有り様だ。最初は人攫いにでもあったか、と皆、心配して騒ぎにもなったのだが、そうでないと知れると厳しく叱った。しかし、それでも懲りることなく、それは続いた。
 いい加減、家族も使用人たちも飽き飽きしていても放っておくわけにもいかず、その度に捜しに出るのだが、不思議といつも和真だけが沙々女を見付ける事が出来た。
 近くの社の神木の幹の窪に隠れるようしゃがみこんでいたり、水路端の長く伸びた草の間で、ひとりぽつんと立っているところを見付けたりした。
「おまえ、そんなにうちが嫌なのか」
 腹立たしくも手をひいて連れ帰る途中、和真がそう訊ねたとしても答えはなかった。誰がどれだけ叱ろうとも、宥めすかして理由を訊ねようとも、沙々女は何の言い訳もしなかった。泣きもしなかった。強情な娘だとみな呆れ返り、そのうち誰も何も言わなくなった。そうして、いつの間にか、和真が沙々女を捜す役を任されるようになった。
 ――鬱陶しい。
 いつしか、和真もそう思うようになっていた。それは、偶然に耳にした下働きの者達の陰口にも原因があるのかもしれない。
「身寄りをなくしてって話も、本当のところはどうだかねぇ。ここだけの話、実は義雅さまの子じゃないかって話さ。でなけりゃ、みなしごってだけでなんの見返りもなしに引取るなんて酔狂な真似、誰がするもんかね。そんな子は他にもいるだろうにさ。それにしたって、どこの女との子かは知らないけれど、あれじゃあねぇ。笑わないどころか、泣くことも怒ることさえしない。たまあに、ぞっとするよ。なにか取り憑いてるんじゃないかってね。それこそ、義雅さまが退治したあやかしの祟りかもしれないよ。幾ら器量よしでも厄介者になるばかりさ」
 沙々女を指してそう言っていた。
「奥方さまは本当は義雅さまに嫁ぐはずだったのが、護戈になられたもんだから、泣く泣く長兄の旦那さまのもとへ嫁ぎなさったて話だよ。そりゃあ、義雅さまはご立派だけれども、いつ命を落すかしれない護戈衆に御実家も嫁には出せないって言ってさ。それでなくとも、お勤めで一緒に暮らすことだって出来ないし、かと言って籍にもいれずってわけにもいかないしねぇ。でも、奥方さまが、今でも心の中で義雅さまを慕ってらっしゃってもおかしくないよ。それを、まあ、あんな子を預かるなんてさ、旦那さまも当てつけがましいよねぇ」
 それは、彼がそれとなく抱いていた疑問に答える形にもなった。
 沙々女はそれなりの教育を与えられはしていても、普段は下働きの手伝いのような生活をしていた。『実の妹のように』と父が自らが言ったにも関らず、あきらかに和真や他の兄弟達とは一線を置いた扱いを受けていた。女の子だから、躾けのためだから、と和真の母は言うが、それにしても少し違う印象を和真も他の兄弟たちも受けていた。だからだろう。弟の邦光はいくら放っておけと注意しても、沙々女をからかったり苛めたりすることを止めようとしなかった。
 和真の母は決して沙々女を邪険にしたりはしなかったが、慈しむ事もしなかった。優しい母の瞳が、少女を映す時に限ってその光を失う事に、和真もうすうす気付いていた。そして、父との間に、時折、妙にぎくしゃくとした空気が流れる理由が、漸く知れた気がした。
 和真は父よりも叔父に似ていると言われている。先日、受けた護戈の素養検定で『優』の認定を受けたことでもそうだ。父は勿論のこと、三つ年上の兄、初晴にも素養は皆無だった。他の親戚を捜しても、叔父と和真だけが、その素養を認められていた。そして、和真と沙々女が必要以上に一緒にいることを、母がそれとなく嫌がりもしていることに気付いていた。
 実際、叔父との間に不義はないにしても、以来、見つめる母の眼差しひとつに和真は落ち着きを失った。胸元を隙間風が吹くような心持ちがしてならなかった。そして、沙々女を避けるようになった。と同時に、護戈になる決心を固くしていた。
 護戈衆になる為には二年の養成期間があり、また、いったん役目に就けば、滅多に家に戻る事もない。護戈になる事は元より和真の望みであったが、家を離れる理由になることにより突き動された。
 彼の決意に和真の父は、そうか、とひとこと頷いただけだった。母は眼に涙を溜めるばかりで、何も言わなかった。沙々女も相変わらずだんまりで、補うように兄と弟からたくさんの恨み言を含めた励ましの言葉を貰った。


back next
inserted by FC2 system