kumo


 家を出た和真を厳しい訓練が待っていた。毎日、昼夜問わず、くたくたになるまで過酷な実戦訓練と一般教養も含めた教科を習熟した。期間中、その厳しさについていけず、脱落する者も少なくなかった。しかし、それだけに、先にいた黒羽や残った仲間達との絆は深まった。音をあげたくなる事も多々あったが、毎日が充実していた。夢中になって日々を過す内、和真は家族や沙々女を思い出すことは滅多になくなっていた。
 養成期間を残すところあと半年。和真の元に凶報がもたらされた。叔父の義雅が任務中、あやかしの前に倒れたという報せだった。逃げ遅れた子供を庇ってだと言う。遺体は無惨な様子で、影すら残らないありさまであったと聞かされた。隊葬は既にすんでいたが、羽鷲家でも形ばかりの弔いを行うので戻って来い、と父からも連絡があった。
 迷いは出たが、許可を得て、一年半ぶりに和真は家へ戻った。
 親類縁者が集まる中、しめやかに叔父の葬儀は行われた。その中に沙々女の姿もあった。
 暫く見ない内に沙々女も成長し、娘になりかけの美しさの片鱗を見せ初めていたが、表情のなさは相変わらずで、涙一つなかった。冷たい娘だ、と陰口も囁かれた。和真は声を掛ける事もしなかった。
 葬儀も一通り終えた頃、一人の男が羽鷲家を訪れた。
 無精髭をはやし、髪もぼさぼさのその男は、藍色の隊服と腰の刀がなければ、ただの怪しい浪人者にしか見えなかっただろう。
「君は和真くんかい」
 たまたま迎え出た和真に、男は名乗るより先に訊ねてきた。不躾な程に頭の先から足の先までじろじろと眺め回す視線に居心地の悪い思いをしながら、和真は、はい、と答えた。
「随分と鍛えているみたいじゃないか。面構えもなかなか良い。養成期間もあと半年だって」
「はい」
「先行きが楽しみだ。羽鷲さんも自慢の甥の晴れ姿を見れなくて、さぞかし残念な事だろう。叔父上は、本当に立派な護戈衆だった。人一倍、正義感が強く、皆に慕われていた。尊敬に値する人だったよ。こんな事になって本当に残念だ。心からお悔やみ申し上げる」
「ありがとうございます。あの、ところで、失礼ですが」
 訊ね返してから初めて気付いたようで、男は照れ臭そうにしながら、稲田享輔と名乗った。
「七丿隊では叔父上の下で共に行動させていただいた。随分とお世話になったよ」
「そうでしたか」
 だが、男の腰にあるだろう所属の隊を示す木札が見当たらなかった。密かに不審がる和真に稲田は言った。
「本日は、お父上にもひとつお願いがあってお伺いした。お取り継ぎ願いたい。それと、沙々女という娘さんがいると思うのだが、その娘も呼んで貰えないだろうか」
「沙々女をご存知なのですか」
「ご存知と言えば、そうだな。数度、会った事がある。尤も、その頃はまだ小さくて何も覚えちゃいないだろうが……」
「そうですか」
 ほんの少し好奇心が動いたが、和真はそれ以上たずねなかった。
 和真の父は、稲田の名前を聞き知っていた。
 それに安心したらしい男の口から、思い掛けない申し出があった。沙々女を預かりたい、との内容だった。稲田は前任の引退に伴い、ちかぢか二丿隊を預かるために五丿隊より赴任してきたばかりだと言う。ところが事前の話から、寮の隊士達の世話をする人手が足りなくて困っていると話した。
「羽鷲隊長のご実家で育てられ、身元も明らかで躾も行き届いている。まだ子供ではあるがすぐに大きくなるだろうし、何事も一人前にこなせるようになるでしょう。そう高くもないが給金も出るし、これ以上、安全な場所もない。親のないこの娘の先行きを考えれば、決して悪い話ではないと思うのだが」
「しかし、かえって御迷惑をおかけする事になりませんか。この娘は人見知りが激しいというか、無口すぎるきらいがありますし」
 突然の話に、父からは困惑の様子が見て取れた。
 いや、と稲田は首を横に振った。
「別の言い方をすれば、口が固いという事でしょう。中には、表には出せぬ話もありますから、当方としてはその方が有難い。如何でしょうか」
 和真の父は思案するように腕を組み、傍に控えていた沙々女を見た。
「勿論、本人さえ良ければ、ですが」
 稲田は付け加えた。
「おまえはどうなんだ? 二丿隊の世話係として働く気はあるのか」
 家長である和真の父の問い掛けに沙々女はいつものように瞳を伏せ、ただ、じっと座っているだけのように見えた。また、何も言わないままではないかと和真が思った頃、その頭が下げられた。
「おねがいします」
 蚊の鳴くようなか細い声が答えた。
 父は、ほっとしたような表情を浮かべた。やめておけ、とは言わなかった。
「そうかい。頼まれてくれるかい」
 稲田は嬉しそうな笑みで頷いた。
 慌ただしくもその日の内に、沙々女は羽鷲家を後にする事になった。取り急ぎ纏められた沙々女の荷物は、身の回りの物を含めても小さな包みにしかならなかった。
「皆さまの御迷惑にならないように」
 別れ際、ふいの出来事にも和真の母は哀しむでもなく沙々女に言った。
「ながいあいだ、おせわになりました」
 沙々女は珍しくもたどたどしい口調で挨拶をすると、小さな身体を折るようにして見送りに出た者たちに向かって頭を下げた。
 夕暮れの中、風呂敷に包んだ荷物を抱えて稲田に手を引かれる少女は、それでも一度だけ、五年余りを過した家を振り返った。
 以来、沙々女が羽鷲家の門を潜った事はない。
 ただ、はからずも、和真だけが同じ屋根の下に暮らす者同士として、毎日の様に顔を合わせている。
 予想に違わず年頃を迎えた沙々女は美しく成長し、隊士達の世話係として働いている。勝手にどこかへ行くという事もなくなったが、たまにひとりでぼうっとしている姿をみかけたりもする。
 和真もその働きなどが人々の噂に上るまでに成長したが、特別、沙々女に関らない態度に変わりはない。ごくたまに、胸を突き上げるような苛立ちが湧く時もあるが、素知らぬ顔をして遣り過ごしている。
 そうして、事もなく、毎日が過ぎていた。



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