kumo


 沙々女と菊が出掛けた頃、亞所にある一室で、稲田は涙目になりながら、出そうになる欠伸を噛み殺していた。
「おせぇな」頭上から舌打まじりの苛立つ声が降ってきた。「水無瀬のやつぁ、なにやってんだ。来ねぇんだったら帰るぞ、俺ぁ」
 そう言って隣に立つ男は、肩にめり込んで見える太い首から何度も音を響かせた。
 その頭と言えば、赤銅色の岩石を組合わせたようなごつごつとしたもので、見るからに硬そうに感じる。地肌ばかりがめだつ前頭部から後頭部にかけての中央には、防火帯のような髪で描いた線が太く残されていて、その天に向かって突き立つ短髪は、そのまま針として使えそうな鋭さだ。顔にはやぶにらみの目が二つ、剣呑な光を放っている。眉はなきが如く薄く、太く盛り上がった鼻は、心持ち右に少し曲がって見えた。唇は薄く、開いたところは岩間に出来た裂け目のようだ。
 強面という表現も、この男の前では可愛らしく聞こえてしまう程、人相が悪い。現実、その姿を見ただけで子供は泣き出し、大人でも気の弱い者は腰を抜かす。
 身体は当然のように大きい。頭の位置が人より、二つ三つ高く抜きん出て、横幅も奥行きも、並ぶ稲田と比べて倍以上はあるだろう。そして、その力はその見かけに見合う以上のものだった。誂えの大刀を一閃すれば、人を一呑みにできる夜刀《やと》の首をも討ち落す、と言われている。
 なにもかもが、人間離れをした男だった。
 この男を、峰唐山 顕光《ほうとうざん あきみつ》と言う。れっきとした、護戈四丿隊の隊長だ。
 その証拠に、だらしなく胸元を着崩した藍色の隊服の上に、肩からひっかけるようにして白羽織を身に付けている。両袖には二本ずつ線が並び、その背中には角も鋭い四つ稲妻菱紋が縫い取られている。稲田の白い袖には左右一本ずつの線と雲紋、そして、少し離れた位置に立つもう一人の男の袖には、左に二本と右に一本の線。そして、水車紋を背負っていた。線の数とそれぞれの紋は率いる隊を表している。
 本日は三ヶ月に一度の隊長格による定期会合の日だった。だが、すでに決められた時刻だというのに、一丿隊隊長のみが未だ到着していなかった。四人揃わなければ、会合が行われる次の扉を潜れない決まりになっている。そのため彼等は手持ち無沙汰のまま、もうひとりの到着を控えの間で待っているしかない状況だった。
「それ、どうしたの」
 稲田はちらりと四丿隊の隊長の顔を見上げて訊ねた。
「あ、」
「その顎の」
 峰唐山の割れた長い顎の先に、小さな引っ掻き傷が出来ていた。
「ああ、これか。昨日、ちょいと気の荒い雌猫にやられてな」
「ああ、そう」
 言葉通りに受け取るほど稲田も野暮ではないが、あえて流した。峰唐山はそれに気を悪くした素振りもなく、稲田に話しかけた。
「そういや、この間、てめぇん所のが娘の死体を見付けたんだってな」
「まあね」
「たかが狒狒二匹にてこずっている間に殺られたそうじゃねぇか。ちったあ、巷の噂にもなっているようだが、評判倒れか」
「まあ、しょうがないよ」、と軽い挑発を稲田は長閑に躱した。
「夜中だし、家とかを壊さないように殆ど力を使わせなかったから。それに、娘さんが見付かった場所だと、そちらさん側から投げ込まれた可能性だってあるしねぇ」
 峰唐山の口から、ちっ、と短い舌打ちの音が出た。
 それに、くすり、と笑ったのは、その場にいたもう一人の人物だ。
「なにが可笑しいよ」
「いえ、別に」
 早速、噛付いてきた峰唐山に、男は素知らぬ振りをして答えながらも、口からは尚も忍び笑いが洩れ出る。
 こちらは稲田とそう変わらない平均的な体格の持ち主で、肩までの垂らし髪が、一見、優男風だが、きっちりと白羽織を着込んだ姿は、どこかしら学者然とした雰囲気も漂わせていた。
 しかし、それにしても一隊を率いるだけの腕を有している。
 三丿隊隊長、白木 宋樹《しらき そうじゅ》だった。
 兎角、隊長によって、隊の性格も自ずと決まってくるものだが、同じ都の西地区を守りながらも、三丿隊と四丿隊は、見事に対照的な対をなしている。
 峰唐山の四丿隊が『剛』ならば、白木の三丿隊は『柔』。
 かたや、『力』と『強さ』であれば、こなた、『奇抜』と『器用さ』が売りだ。
 戦う相手に、剣一本で真っ向から挑むのが峰唐山であれば、白木は相手に合わせて道具を変え、多彩な技で対抗する。
 白木にかかれば、紙一枚、小枝一本が武器となる。その上、趣味のひとつが、新しい武器の意匠というだけあって、三丿隊の詰所と言わず寮までが、さながら武器庫の様相を呈しているという噂だ。だが、その反面、護戈衆随一の博識の持ち主であり、楽を奏でる風流人としての一面も持っていた。曲者揃いの護戈衆の中にあっても、変り種と言われている。
「そうかい。他人事で笑ってられる内が花ってもんだからな」
「そうですね。けれど、他人事は、所詮、他人事ですから」
 峰唐山が、凶悪な笑みを浮かべて言えば、白木は澄まし顔でそれに答えた。
「そうとばかりは言えねぇんじゃないか」
「さて、どういう意味でしょうか」
「いつだったか、真っ昼間っから殺しがあったじゃねぇか。主の囲っていた女が狐憑きになってやった、とか言う。誰かさん達が駆け付けた時にゃあ、店のもんが皆殺しになってたって聞いたぜ」
「男の噂好きとは感心しませんね」、と白木の声は平静だったが、眉間に薄く皴がよっていた。
「別に噂好きってわけじゃねぇさ。ただ、自然と耳に入ってきちまってな。俺ぁ、剣の腕も男っぷりもいいが、耳もいいんだ」
「耳だけは良い、の間違いでは」
「試してみるかい」
 鼻でせせら笑う白木に、峰唐山は、にやり、と笑ってみせた。その指先は、すでに腰の太刀にかかっている。
「さて、暇潰し程度にはなりますか」
 白木の両手が袖の中に引っ込められた。だが、こちらも素手というわけではなさそうだ。
 双方、さりげなく間合いを取り始める。緊張の糸が張りつめ、あとは互いの瞬間を見極めるだけになったその時だった。
「なあにやってんだい。こんな所でさかってんじゃないよ」扉が開く音と共に女の声が割って入った。「亞所を壊す気かい。やるんだったら、外行ってやんな!」
「なに言っていやがる、てめぇが遅いからだろうが。退屈で死ぬかと思ったぜ」
「なに、少々、戯れていただけですよ」
 峰唐山は刀から手を放し、白木も袖から手を出しながら、口々に答えた。
 遅れてやってきた一丿隊隊長は悪びれたようすもなく、肩にかかった栗色の長い髪を後ろ手に払い胸を張った。
「野暮をお言いでないよ。女は支度に時間がかかるもんさね。それに戯れにしちゃあ、物騒すぎやないかい。亞所内は抜刀厳禁って事を知らないわけじゃあるまいに。おや、稲田もいるんじゃないか。あんた、どうして止めなかったのさ」
「俺がこのふたりを止められると思う?」
 いつの間にか戸口近くの壁際に下がっていた稲田が問い返すと、水無瀬は、「無理だな」、と納得したように頷いた。
 それには情けなくも稲田の眉尻が下がった。
「こういう時は嘘でも否定するもんだよ。でなけりゃ、傷つくんだから」
「よく言うねぇ。一番、面の皮の厚いやつが」
 赤く染めた女の赤い唇が、艶然と笑った。
 彼女の名前は、水無瀬 斎《みなせ いつき》。
 二人いる護戈女性隊長の内のひとりだ。そして、女護戈衆一の美貌とうたわれる。年の頃は、二十代後半か三十路に入ったばかりの頃か。しかし、女は外貌みかけで判断出来ない。齢をはっきりと知る者は誰もいない。ただ、女盛りであることには違いないだろう。藍色の護戈の隊服にきっちりと身を包んでいるが、その女らしい身体つきを隠す事はなく、かえって成熟した色香を引き立ていた。
 剣に於ては力では男に及ばないものの、技の切れや早さではひけを取らない。また、隊の統率力は群を抜き、兵法に優れる。一丿隊隊士に限らず、男と言わず女まで、その気風の良さと美貌に惚れ込む者の数は増すばかりだ。『一丿隊隊長の後ろには、百の護戈衆がいると思え』、という流言は、あながち出鱈目とは言いきれない。
 稲田は軽く息を吐くと言った。
「まぁ、皆んな揃った事だし、行きますか」
「気がすすまねぇなぁ。話が長ぇんだ、あの爺ぃは」
 峰唐山のぼやきに、残る三人は苦笑を浮かべた。
 爺ぃと言うのは、護戈の長であり、実質的に稲田達の直接の上司にあたる賦豈《ふがい》老の事だ。顎に白髭を蓄えたかくしゃくたる老人だが、若き頃は護戈隊長として名を連ね、今でもその頃の活躍が半ば伝説的に語られもする。
 通常、定期会合は、賦豈老を含めたこの五名で行われている。都外の隊については、遠方という事もあって、普段は書状の遣取りにて報告が行われており、半年に一度だけ全隊長が顔を合わせての会合が持たれる。
「それじゃあ、ぼちぼちと」
 入ってきたとは反対側の扉を開け、会合の席が整えられた部屋へと四人の隊長は移動した。



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