kumo


 会合を終え、漸く、本日のお役目ご免となった稲田を呼び止める者があった。声の主は、振り返らずともあきらかだ。
「ちょいと話があるんだが、いいかい」
 はすっぱにも感じる物言いに、稲田は肩越しに振り返った。
「口説こうってんだったら、遠慮しとくよ」
「誰があんたなんか」
 嘯く方も答える方も、口元に皮肉な笑みを浮かべる。が、水無瀬はすぐに真顔に戻して言った。
「そっちの耳に入っているかどうかは知らないが、怪しい動きがあってね。今日、遅れたのもそのせいさね」
「怪しい動き?」
「ああ、動きって言うのか、なんだろうね。まだ、はっきりした事じゃないんだが、ちょいと気になってさ」
 おいおい、と稲田は声をあげた。
「らしくないじゃないの。情報《うら》取りは一丿隊の十八番《おはこ》でしょ。でなけりゃ、単なる気のせいか」
 だからさ、と水無瀬は答えた。
「だから怪しいって言ってんだよ。今日も報告しようかどうしようか迷ったんだが、はっきりしない内に口にするのもなんだしね。同じ東側のよしみで、あんたにだけは内々に話を通しておこうと思って。迎えの舟が来ている筈だから、送ってやるよ。詳しい話はそこで」
 返事を待たずにさっさと歩き始めた女の後ろ姿を稲田は見つめると、溜息を一つ吐いて後を追った。
 亞所入り口にあたる大門前の大橋を渡り、一本筋を越えた水路の桟橋で、藍色の隊服の男がひとり小舟の上で待っていた。
 後ろに短く流した黒髪の、左のこめかみ辺りから混じる一房の金色が雄鳥の飾り羽根を思わせる。端正な佇まいの隊士であるが、整った顔立ちに珍しくも玻璃の玉にも似た瞳が不思議にも独特な印象を与える。水無瀬の片腕であり懐刀とも言われる、副官の沢木 高遠《さわき たかとお》だった。
 常に一丿隊の隊長に影のように従い、けっして前に出る事はない。だが、なかなかの切れ者で腕もたつというのが、人となりをよく知らないにしろ、稲田の彼への評価だ。だが、それとは別に、あまりの隙の無さにどこか油断ならないものを密かに感じてもいた。
 沢木はふたりの姿を認めると立ち上がり、深々と頭を垂れた。
「ご苦労」
 水無瀬はひとこと言い置くと、身も軽く舟に飛び乗った。まるで陸に置かれたかのように小舟は微動だにしなかった。
「どうしたい、早くお乗りよ」
 後に続かない男に声をかけると、稲田はにこにことした笑顔を浮かべ、傍を行き過ぎる伝馬舟に向かって手を振っているところだった。
 舟には年若い娘がふたり乗っており、娘達は稲田と水無瀬に向かって軽い会釈で応えて、ゆっくりと北の方角へ遠去っていった。
「あんたがあんな若い娘の趣味があるなんて知らなかったよ」
 舟に乗り込んだところでの軽い皮肉に、「よせやい」、と稲田は手を振るように答えた。
「ひとりが、今、うちで預かっている娘なんだよ。寮で隊士達の世話をして貰っているんだが、元は羽鷲さんが引き取った娘でね」
「羽鷲さんって、羽鷲隊長のことかい」
「ああ、七丿隊の頃に理由《わけ》あって孤児になったところをね。その後、すぐに都へ移動になったんだが、御実家に預けられていたんだ」
「へぇ、それは初耳だよ」
「まぁ、人に話すような話じゃないから。羽鷲さんも、良い縁さえあればいつかはあの娘を嫁がせてやって、とか思っていたんだろうけれど、結局あんなことになっちまったし」
 それには水無瀬も、しんみりとした顔つきになる。
「ああ。それでも、羽鷲隊長らしい話だねぇ。あたしはそう長くもない付合いだったけれど、本当にいい隊長だったよ。情に厚くて、剣の腕も一流。それがあんな事になるなんて、人間、先行きどうなるか分からないものだよ。しかも、まさか、あたしが後を引き継ぐなんて思いもしなかったさ」
 故人を偲ぶふたりを乗せた舟は、水面をゆっくりと走り始めた。
「それで、話ってのはなに。怪しい動きって何なの」
 まず、稲田からの問いに水無瀬は頷いた。
「それが、うちの部下が偶然、妙な物を見付けてね」
「妙な物って」
「笹舟さ」
「笹舟って、子供なんかが作って遊ぶあれの事かい」
「ああ、その笹舟。それがこれなんだけれどね」
 水無瀬は片袖から一枚の笹の葉を取り出して、稲田に手渡した。受け取った稲田も、それを表裏ひっくり返して検分した。
 細い葉の先端近くには、舟を形作る為の折り目と四本の裂け目がついていた。が、それ以外は何の変哲もないただの笹の葉だ。妖気も何も、感ずるものはない。ただ、葉の表面の真ん中に薄く掠れた赤い痕があった。
「何かついているけれど、何だろうね。文字かな」
「分からない。けれど、これがあったすぐ近くで『舞首《まいくび》』が出る騒ぎがあったんだよ」
「偶然じゃないの。どう見ても、普通の葉っぱじゃない」
「最初はあたしもそう思ったさ。けれど、それより前に『山精《さんせい》』が出た時も、傍にこいつが流れていたのを、近くの小船で寝泊まりしていた宿無しが見ている。そいつの話じゃあ、笹舟から雲が沸き立つように山精が出てきたそうだ。その時は、言っても誰も信じやしなかったみたいだが」
 ふうん、と稲田は推量する声で頷いた。
「でも、二度程度じゃあ弱過ぎるな。笹舟自体、珍しいもんじゃないし、その見たって宿無しだって、化かされたかしてたかもしれないし」
「じゃあ、あんた達が見付けた娘にも関係しているかもしれない、となったらどうだい」
「それ、ほんと?」
 少なからず驚いた表情に、「確証はないけれどね」、と水無瀬は苦々しく答えた。
「同じような手口の殺しが、以前にもあったって話を聞いてないかい」
「ああ。ふた月ほど前にも、傷だらけの娘の遺体が半分凍った鴬来池《ほうらいいけ》に浮いていたって」
「山精はそのすぐ近くで、時を同じくして出たんだよ。舞首は、ふたり目の娘がいなくなった時と重なっている。あんたの所が遺体を見付けた時も狒狒が出てたんだろ」
 稲田は腕組みをした。
「その笹舟があったかどうかって話になるんだろうけれど、気付かなかったなぁ。それこそ、うちの連中だって見ても何とも思わないだろうし」
「だろうね。たとえ知ってたとしても、夜だと見付けにくいだろう」
「うん。それで、一丿隊の隊長さんはこれをどう読んだの」
 探る目付きを前に、水無瀬は軽く鼻を鳴らした。
「……面白くないねぇ」
 それに同意するかのように、水路を折れる舟先を波が叩いて応えた。小舟は入り組んだ水路を右へ左へと折れながら、先へと進んだ。
 水無瀬は懐から煙管を取りだすと、刻み煙草を詰め火をつけた。すい、とひと吸いしてから、息と共に長い煙を吐き出した。煙は微風に乗って、後方へと流れ出ていった。
「仮に何者かが仕組んだとすれば、その目的は陽動だろうね。あたしらを動かして、騒ぎになっている最中に目的を達する。気配を紛れさせ、昼間であれば人の目を逸らし、夜であれば音を紛れさせる事が出来る」
「けれど、そう上手くあやかしを操るなんて事が出来るもんかね。下手すりゃあ、逆に喰われちまうんじゃないかい」
「でも、ないとも言い切れないだろ。外国《とつくに》からの怪しげなもんが、流民やらを介して広まっている事を考えると」
「まあね。でも、それにしたって、実際、上手くいくもんかなぁ。笹舟でしょ。どっかに引っ掛かったり、沈んだりする事だってあるだろうに」
「それはそうなんだが」
「それに、大事な事がひとつ」稲田は水無瀬の前に、指を一本立ててみせた。「娘を攫って殺すのに、どうしてそこまで手間をかけるか」
「それは、さっきも言った通り、」
 指が左右に振られた。
「俺達に気取られないようにするなら、巡回時間を外して遺体を堀に投げ込めば良いだけのことでしょう。音を消したいなら、雨音なんかに紛ればいい。娘を攫うにしても、人目のない所は幾らでもある。わざわざ騒ぎを起こす必要なんてないよ」
「じゃあ、目的は別にあると」
「さあね。やっぱり、ただの偶然かもしれないし。ただ、今年に入って実戦回数が格段に増えている事を考えると、意図的なものを感じたくなるよねぇ。しかも、これまでは都外でしか見られなかった類が出てきているからねぇ」
 稲田は背を逸らせ、真上にかかる橋の裏側を見上げた。嗅ぐでもなく、木の湿った匂いを吸い込む。影を抜け出ると、二丿隊詰所に近い桟橋が見えてきた。
「ときに、あとのふたりはこの事は」
「白木なら或いは。でも、分からないな」
 稲田は、ふうん、と頷くと、
「まあ、笹舟についてはうちの連中にもそれとなく注意するように言っておくよ。じゃあ、送ってくれてありがとう。お務め、頑張ってね」
 そう言って立ち上がり、小舟を桟橋につける必要もなく、ひょい、と水たまりを飛び越える気軽さで岸に着地した。そして振り返ると、水無瀬に向かって軽く手を振った。
「流石ですね」
 それまで黙って櫂を取っていた沢木が、初めて口を開いた。
 まったく、と岸から離れていく白羽織の背中を見送って、水無瀬は煙を吐いた。
「食えない男だよ」



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