kumo


拾弐

 北へ向かう途中、偶然にも稲田たちと擦れ違ったことは、菊をはしゃがせた。
「あれが、一丿隊の隊長さん? 初めてお顔を拝見したけれど噂にたがわずお奇麗な方ねぇ。女の身で護戈の隊長を務められているなんてご立派だわ。賢くて、強くて、お奇麗で。あんな方も世の中にはいるのね。羨ましいを通り越して憧れてしまうわ」
 大袈裟に溜息を吐いて褒めちぎる。その後も小耳に挟んだ噂話や、勤める家での出来事など何やかやとひとりで喋り続け、沙々女はそれに相槌をうつばかりだった。しかし、目的地が近付くにつれ、菊の言葉数は次第に減っていった。
 都の中心地から半刻ほど揺られた先、他の乗客もすっかりいなくなった北のはずれの桟橋でふたりは伝馬舟を降りた。
 周囲を見回してもほかに人影はなく、山と川ばかりのうら寂しいばかりの風景が広がっている。水の流れは早く、吹く風もいくぶん冷たく感じた。街中にくらべて、季節が半月ほど遅れているだろうか。常緑樹の色は黒く、花の色どころか未だ白い枝ばかりの樹がぽつぽつと混じっている。時々、聞えてくる鳥の鳴き声が、一層、不気味に感じられた。
 桟橋を過ぎてまっすぐ行ったところに、海風寺《かいふうじ》と墨の色も濃く書かれた不自然なほどに真新しい立て札が立っていた。
 その脇にある空にも届きそうな長く連なる石段を、菊と沙々女は見上げた。石段は段差こそ低いものであったがふたり並んで歩くのがやっとの幅しかなく、先が曲がっているために頂上もはっきりしない。
「なんだか、怖いわ」菊は隣に立つ沙々女の手を握った。「沙々女ちゃん、傍にいてね。お願いね」
 心細げに言う娘に、沙々女は黙って頷いた。
 菊は決心をつけたように石段を、一段、また一段、と上っていった。道の両脇を挟む大樹の太い幹やそこから見える風景にはいっさい目もくれず、思い詰めた表情でただ自分の足下だけを見続けていた。途中、嬉しそうな笑みを浮かべる同じ年頃の娘とも擦れ違ったが、それにも気が付かない様子で黙々と足を進めていった。
 沙々女は菊の歩調に合わせて、繋いだ手を離すことなくついていった。
 長い時間をかけて、娘達は石段を上りきった。
 切れた息を整えながら周囲を見回すと、そこは意外なほどに拓けた場所になっていた。薄暗い階段道を昇ってきた娘たちには、眩しいばかりに明るく感じる。
 正面には、古い普請ではあったが、手入れの行き届いた本堂が構えられ、雑草の一本もなく整えられた石畳が真直ぐ続いていた。石畳を挟んで立つ二基の石灯籠も、立派な大きなものだった。
 背後には、なだらかな丘陵をもつ雲引山《くもびきやま》が間近に迫って見えた。
「随分と高く上ってきたのね」都を一望できる見晴らしの良い場所に立って、菊は言った。「ほら、亞所があんなに小さく」
 中心に建つ、赤い八角形の二重の大屋根は周囲の建物の中でひときわ大きく目を引いた。周囲を取り囲む渦巻き状の堀も空の色を映してくっきりと見える。そこから連なる細い水路が網目状に広がり、まるでクモの糸のような複雑さだ。青空の下の水の都は陽射しを浴びてどこもきらきらと光り輝き、磨き上げた玉をみるかのような美しさだった。
 暫しの間、ふたりの娘はその眺望に見蕩れた。
 脚の疲れも癒え、かいた汗もひく頃、娘たちは目的の店を探すことにした。
 参拝客らしき人の姿がちらほらとする中、本堂脇の少し奥まった場所に、幟が一本立っているのを見付けた。幟には『ほうじゅうらない』と大きく書いてある。
「あれかしら」
 吸い寄せられるようにふたりがそちらへ向かうと、幟の横で商人らしき男が頻りに頭を下げていた。立ち止まって見ていると、頭を下げるのにも気が済んだらしい男は口元が緩んで仕方のない表情で、彼女達の脇を通りすぎていった。
 男のいた場所を改めて見れば、蓆の上に座る小さな老婆がいた。
 浅黒い肌の色をした平たい顔は無数のこまかい皴に覆われて、糸のような眼や鼻、口も横に長い独特の風貌をしていた。最後に櫛を通したのはいつかと思うほどざんばらの灰色の髪を結うこともなく、額にあてたいっぽんの組み紐で留めている。樹の皮で染めたような色の着物の恰好《なり》も身綺麗とは言えず、丸めた背が老婆をますます貧相に見せていた。ひとつ間違えれば、物乞いと勘違いしそうな見様だ。それでなくとも、店と言うには幟と蓆しかないみすぼらしさは、娘に警戒心を抱かせるには充分だった。しかし、わざわざここまでやって来てなにもせずに帰る、ということも出来るものではなかった。
 菊は沙々女の肩にしがみつき、後ろに隠れた。そうしながら、じりじりと前に進んだ。沙々女は菊に背後から押される形で老婆に近付くことになった。
「綺麗な娘さん、占いかえ」
 沙々女が正面に立った時、老婆は僅かに頭を起こすと、低いしわがれ声で言った。沙々女は首を横に振った。
「じゃあ、そっちの娘さんかえ」
 問われた菊は、沙々女の背中にしがみついたまま、肩から覗き見るようにして頷いた。
「そう怖がりなさんな。なにも取って食やしないよ。力ならおまえさん方のほうが強いだろうよ。ちゃんと前に来て宝珠の前にお座り。でないと、分かるものも分からないからね」
 老婆の前には赤い縮緬の座布団の上に乗った、透明な丸い珠が置いてあった。
 菊はこわごわと沙々女の後ろから出てくると、何度も連れの娘を振り返りながら占い婆の前に座った。
「お代を先に貰うよ。二十井さね」
 菊は躊躇いながら手に持った巾着袋から小銭をふたつ取り出すと、差し出された皺くちゃの掌の上にのせた。



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