kumo


拾参

 占い婆は小銭をおし頂くようにして、脇に置いた小箱の中に仕舞った。そして、手に持った数珠を手繰ると、珠に向かって手を合わせた。
「はぁ、想い人の事で来なすったね。その男がどう思っているか知りたい、と」
 菊は驚いた表情で、目の前に座る年老いた姿を見つめた。老婆は短冊に切った紙と矢立を用意した。
「じゃあ、まずは、娘さんの名前をいただこうかね」
「菊」
 小さな声を聞いて、占い婆は矢立から筆を取り出すと、紙に『きく』と書いた。
「お菊さんか。年は」
「十七」
「小染月《こそめづき》の生まれだね」
 名前の下に、それも付け加える。
「良く分かるのね」
 感心する娘の前で、占い婆の口から、ひゅう、と風が吹き抜ける音がした。声にならず笑ったようだった。老婆は書いた紙を珠と赤い座布団の間に差し込んだ。
「じゃあ、その宝珠に両手をかざしてごらん。中に何が見えるね」
 すっかり怯えの色の消えた菊は、言われるがままにした。年老いた骨張った指先が、数珠玉を一つ一つ手繰り寄せ始めた。口の中で、呪文らしき言葉も紡がれた。
「なんだか良くわからないけれど、青い炎みたいなものが見える気がするわ」
 暫くしてのち、菊は答えた。ほぉ、と老婆は口にした。
「お菊さんは、神仏の福分に厚いようだね」
「そうかしら」
「困った事があっても、必ず誰かが助けてくれる筈だよ。勘働きも悪くないようだ。虫の知らせみたいなもんがあったりするだろう。他人には見えないものが見えたりしないかい」
「どうかしら。言われてみればそうかもしれないわ」、と菊は小首をかしげて答えた。
「物をなくして困っていると、誰かが丁度よく持ってきてくれたり、食べたかったお菓子をお土産に頂いたり。それに、子供の頃、道でよく見知った人に偶然会って話もしたのだけれど、後になって、その人がその同じ頃に亡くなっていたって聞いた事もあったわ。夜中にふと目が覚めて、誰もいない筈の枕元に人が座っているのが見えて、ぞっ、としたり」
「そうだろう、そうだろう」占い婆は、何度も頷いた。「それが、生まれついてご神仏からのご加護を頂いている証だよ。護戈衆なんかも、多かれ少なかれそういう性質だったりするもんさ」
 あら、とお菊は声をあげ、おや、と老婆は頷いた。
「好いたお人は護戈衆かね」
「えぇ」
「だからかねぇ」、と大きく溜息を吐くような答えがあった。
「それが何か」
 娘の問いに、また、もぐもぐと口の中で何事かが唱えられ、数珠が鳴らされた。そして、両手を合わせ、珠を拝んだ。固唾を呑んで見守る菊に重々しく口が開かれた。
「もし、並みの男相手だったら、お菊さんは苦労せず添う事も出来るだろう。元々、そういった縁には恵まれている性質だ。だけど、護戈衆が相手となると勝手が違ってくる。護戈衆は普通の者に比べて、神仏の働きかけが格別なんだよ。天の理を知り、風の声を聞き、水の流れを読み、炎を身に宿し、地の力を得るって者たちだからね。お伺いをたてたところによると、その男はお菊さんの事を憎からず思ってはいるが、今は別に気が向いているようだね」
「他に好きな方がいたりするのかしら」
「それは、本人に会ってみなくちゃ分からないね。勤めの事かもしれないし、他の悩みかもしれないし」
 みるみる内に、萎れた花の様になった娘に老婆は言った。
「でも、望みがないわけじゃないよ。逸れた気を向かせるには、お菊さんに少しばかり福分が足りないってだけさ。そういう釣合いも大事なもんだからね」
「何か方法はあって?」
「あるよ」
「本当? どうすれば良いの」
 問いかけに気を良くした様子で、老女は薄く口を開いて笑った。黄ばんだ歯が隙間を作って並んでいるのが見えた。
「ご先祖さまにお願いすれば良い」
「ご先祖さまに?」
「元から神仏の福分が厚い者には出る幕がないと、ご先祖さまは逆に手を引いちまったりするもんだ。そこをお願いして、足りない分を補ってもらうのさ」
「どうやって」
「代々祀っている社にお参りをおし。御霊屋《みたまや》を綺麗に掃除して、玉串を捧げるんだよ。神職にお願いして祝詞の一つでもあげて貰えば、尚、良いだろう。もし、神棚があれば、毎日、起きた時と寝る前に、真新しい水を湯飲みに一杯捧げるんだ。榊の葉をそえてね。神棚がない場合は、枕元に盆を置いてその上で水をおあげ。その時に毎日の感謝をして、ご先祖さまに上手くいくようお願いをするんだ。あとは、」
 占い婆の調子よく喋っていた口が、急に止った。
 その視線は菊を通り越し、後ろで立って待つ娘に据えられていた。沙々女はなにをしていたわけでもない。ただ、ずっと同じ場所に黙って立っていただけだった。だが、小さな老人はもうひとりの娘に視線を捕われたまま、身体は金縛りにあったように動かなくなった。
「あとは、どうすれば良いの」
 己の事にすっかりと気を取られていた菊は、そんな事にも気付かず訊ねた。
 我に返った占い婆は、慌てた様子で沙々女から目を逸らした。
「あとは、そうさね。その人の姿をよく思い浮かべる事かね。それで想いは通じる筈だよ」
 声が見かけ相応の弱々しく小さなものへと変わっていた。
「それなら出来るわ。おばあさん、ありがとう」逆に活き活きとした笑顔を浮かべた菊は礼を言った。「あら、どうしたの。顔色が悪いわ」
「ちょいと疲れちまっただけさ。年だからねぇ」
 老婆は、乾いた咳を二回くりかえした。
「大丈夫?」
「ああ、ありがとうよ。今日はこれで店じまいするかね。ああ、その前にこれをあげよう」
 干からびた手が小箱の中から小さな鈴のついた五色糸の房飾りを取り出して、菊に渡した。
「願いが叶うお守りだよ。肌身離さず身に付けておいで」
「まぁ、ありがとう」
「娘さん、あんたにも」後ろに立つ沙々女にも、同じ物が差し出された。「お代はいらないよ。これも何かの縁だろう。持っておいき」
 躊躇う素振りを見せた沙々女に、「折角だから、頂いておきなさいよ」、と菊が横から勧めた。
「ね、お揃いだわ」
 笑顔で振られる鈴に、沙々女は老婆に向かって、おずおずと手を差し出した。掌の上に房が乗せられ、ちり、と鈴が鳴った。
「ありがとう」
「娘さんたちに神仏のご加護がありますように」
 小さな礼の言葉に答える声は低く、生気を感じさせなかった。丸めた身体も幾分、しぼんだかに見えた。
 ありがとう、と菊は再び礼を言って立ち上がると、沙々女を連れてその場を離れた。その顔には喜びが溢れ、来た時とはうって変わって足取りも軽い。
 見送った占い婆の口から、ふう、と大きな溜息が出た。
「くわばら、くわばら……」
 口の中で呟きながら、菊の名前の入った紙に何やら筆で書き込むと、細く折り畳んで結び、近くの木の洞の中へ放り入れた。



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