kumo


拾四

 帰り道、菊はさっそく貰ったばかりの鈴付きの房を帯締めに結びつけた。娘の心を代弁するかのように、石段を一段下りる度、鈴がちりちりと軽やかな音を響かせた。
「最初はどうなるかと思ったけれど、来て良かったわ」浮き立つ声が言った。「あのお婆さんは気味が悪かったし、それに、不安だったの。倫悠さまが私の事なんかなんとも思ってなくて、それどころか嫌な娘だって思われていたらどうしよう、って。別の事を思ってらっしゃるって聞いた時には、倒れそうになったわ」でも、と後に続く沙々女を振り返る。「なんとかなるって分かって、本当に嬉しい。こうしてお守りまで貰えて。沙々女ちゃんも何か占って貰えば良かったのに」
「よかったわね」
 答える娘の帯にも同じ房が下げられていた。菊は、にっこりと笑った。
「今日はついてきてくれてありがとう。ひとりだったら、途中で帰っていたかもしれないわ。これで、本当に想いが叶えば、沙々女ちゃんのお陰よ」素直に喜ぶ娘は、軽く刎ねるようにして段を二段降りた。「でも、また、お参りをするのにお休みを頂かなくてはならないわ。奥様にお許し頂けるかしら。そこが心配よ。それに、祝詞をあげていただくにしたって、うちの産土様のご神職って業突張りで有名なのよ。そんなお金はないし、それより、あんな方に祝詞を頂いたってかえって良くないんじゃないかしら」
 心配を口にしながらも、菊は、「まぁ、良いわ」、と言った。
「『お参りに行くから』、とだけ言えばいいわ。奥様だって許して下さるだろうし、祝詞はあげて貰えなくても、その分、御霊屋を綺麗にお掃除してお願いすれば、御先祖さまだってきっと聞いて下さるわ」
 身勝手な解釈も若い娘にとっては当然の理屈だった。
 ふ、と、沙々女の足音が止った。次に気付いた様子で、菊の足も止った。
 前から、揃いの饅頭笠を被り墨色の衣を纏った僧侶の列が二列、石段を上ってくるところだった。
 菊と沙々女は幅の狭い段の脇に横向きになって除けて、僧侶達に道を譲った。墨染めの列は低い読経を流しながら、ゆっくりとふたりの前を行過ぎていった。
「なんだか、立派なお坊さま達だったわね」菊は、肩越しに列を振り返りながら言った。「きっと、上のお堂の方たちね。龍神のお社で托鉢をなさっているお坊さまを見かけた時も、『大きな方だなぁ』って思ったけれど、あの方もあの中にいたのかしら」
「えぇ」
「そう言えば、最近、いらしたお坊さまがいる、って小耳に挟んだ覚えがあるわ。厳しい修業をなさっておいでで、御明かし文《みあかしぶみ》をお渡しすると、仏さまのお力でどんな願い事も叶えて下さるって。深い笠を被った身体の大きなお坊さまだって聞いたけれど、ひょっとして、あのお坊さまたちの事なのかしら」そして、そうだわ、と嬉しげに手を叩いた。「今から追いかけて行って、お訊ねしてみようかしら。それで、もしそうだったら、お願いしてみるの」
「だめ」
 即座の否定の言葉に、菊は目を丸くした。沙々女のこんなにはっきりとした言葉を耳にするのも、初めてのことだ。
「どうして」
「駄目」
 沙々女の手が、菊の片袖を掴んだ。
「どうして駄目なの。教えてちょうだい」
「危ないから」
「危ないって、ああ、沙々女ちゃん怖いのね。大きな人達ばかりだったから。大丈夫よ、お坊さまが酷い事をなさるもんですか。ここで待っていて。私一人で行って、すぐに戻ってくるから」
 菊は安心させるように笑みを浮かべるが、沙々女が袖から手を放すことはなく、むずがる子供のように首を横に振った。
「もう遅いから。皆も心配するから」
 か細い声ながらも、引き留め続ける。
 確かに空を見上げれば、太陽が傾きかけていた。これから戻れば、日没前に戻れるぐらいだろう。
 菊は考えた。
 遅くなれば、他の奉公人達に小言の一つも貰うかもしれない。そうなれば、次の暇願いもしにくくなるに違いない。それはそれで困る。
「わかったわ。帰りましょう」
 その返答に、やっと袖から手が放された。沙々女は黙って頷き、段を降り始めた。
 菊はそれに続きながらも、そっと後ろを振り返った。



back next
inserted by FC2 system