kumo


 太吉は擦れ違う鮮やかな藍色を横目で見やった。
 腰につけられた紋は見えないが、地域と時間帯からして二丿隊の護戈衆である事は間違いないだろう。ふたり連れの隊士は、水路脇の道をゆっくりとした足取りで歩き去っていった。
 ――今日は、やけによく見かけるな。
 肩越しに振り返りながら、太吉は首を傾げた。今のふたりを含めると、今日、擦れ違っただけで三組目だ。こういう日は珍しい。
 護戈衆は、大概、人の視界に入らない場所にいる。屋根の上であったり、水の上であったり、歩くにしても迷路のように入り組んだ細い路地であったりする。それが、こうして比較的人通りのある道を歩いているというのは、余程の理由あっての事だろう。
 ――何かあったかな……
 そう思いはするが、彼には関係のない事だった。本日の太吉に下された舵槻衆からの指示は、易者探しだ。登紀が行ったであろう易者や占者などから話を聞いて来い、と今回の件の担当となる舵槻衆は言った。
「易者や占者なんてこの都にどれだけいるか分からないし、いつも同じ場所にいるとは限りやせんよ。中には、店を出していないのもあるだろうし、客の顔を覚えているとも限らない。橋占や辻占なんかあちこち歩き回っているのも含めると、とてもじゃないが、見付かりっこねぇ」
 話だけで大変さに気付いた太吉は、一応、そう訴えてみた。
 だが、鼻の下に伸ばした鯰髭《なまずひげ》を指先で弄ぶ役人は、ふん、と一声言って、卓上に広げた指図の上に指先でくるりと円を描いてみせた。
「ここんとこ」
「はぁ」 
「都の東上半分で良いから捜しなさい。店を出している者だけに限って」
 最低限の口数しかないその役人の横顔が、ふ、と、鯉に似ているな、と太吉は思った。しかし、洗にして食べるにも不味そうだ。というより、食べられないだろう。それに、同じ食べるならば、太吉は泥鰌《どじょう》の方が良かった。柳川鍋は彼の好物の一つだ。
「すぐに見付かるとはこっちも思ってはいないから。では、頼むよ」
 変な事を考えていたせいで、断りそびれた事に気付いた時には、もう遅かった。太吉はいるとも限らない占者探しをする羽目になった。
 舵槻衆は、言うのは簡単な事でもそれを成す為にどれだけの苦労かが全く分かっていない、と思う。ただ座っているだけで、必要なものが何でも与えられると思っている節があった。
 案の定、何件回ろうと、どれだけ歩き回ろうと、それらしい者はいっかな見付からなかった。
「どうしても知りたけりゃ、若い娘に聞いた方が良いですよ。あたしらなんかよりずっと、どこにどんな易者がいるって知ってるんですから」
 易者本人にそう言われてしまえば、もうお終いだ。
 若い娘に当ろうにも、そんな知合いは太吉にはいなかった。そこら辺にいる娘に訊ねる手もあるが、下手をすれば、逆に不審がられかねない。
「どうしたもんかなぁ」
 呟く咽喉に渇きを覚えた。足も疲れてきた事もあり、太吉はどこかで一服しながら考えようと思った。
 奥まった抜け道を進み、比較的幅の広い水路前に出ると、桟橋脇に一軒の茶店があった。あまり繁盛はしていないようだが、静かな店は考え事にもってこいだ。
 店先の竹組みの縁台の一つに、太吉は腰を下ろした。
「いらっしゃいませ」
「甘茶くんな。あと、団子もひとつ」
 あい、と答えるお下げ髪の後ろ姿に、そうだ、と思い付いた。早速、甘茶を運んできたところで、声をかけた。
「この辺りで、評判の良い易か占うところはないかい」
「あら、お客さん、悩み事でもあるの」
 彼の身上も知らず、丸い目をして屈託のなく訊ねる娘に、太吉は少しだけ眉をひそめて頷いた。
「ああ。おっかさんの病がなかなか治らないもんだから、何かあるんじゃないかと思って一度みて貰いてぇんだが、実際、どこに行けばいいのか分からなくてなぁ」
「それはお気の毒な事ねぇ。そうねぇ、だったらちょっと遠いけれど、北のお堂で店を出しているお婆さんが良いんじゃないかしら」
「へぇ。北のお堂ってどこだい」
「雲引山の麓の丘の上の」
 そう言われて、太吉にも心当たりがある。
「昔っから荒れているところだろう。あんなところに店を出したって、客も寄りつかないだろう」
「いいえ、あそこのお堂に最近、お坊さまがいらして、綺麗になったのよ」
「坊主って事は、寺になったのかい」
「そうよ。そこにほうじゅ占いって店が出ているの。そのお婆さんは、お客の顔を見ただけで、何を占いたいか当てちゃうんですって」
「そりゃあ凄い。神通力か何かの持ち主かい」
 茶店の娘はころころとした笑い声をたてた。
「お午《ひる》過ぎに店を出してるそうよ。あたしもその内にみて貰おうと思って」
「そうかい。それじゃあ折角だから、行ってみて貰おうかな」
「ええ、そうなさいよ」
「教えてくれてありがとよ」
「どういたしまして」
 娘はそばかすの浮いた顔を、にっこりと綻ばせた。
 さて、と太吉は団子の串を片手に考えた。
 北のお堂となると、そこは彼が指示された範囲からは遠く外れている。どうするかと迷いも出る。
 これが有益な情報に繋がれば、多少は手当てもはずんで貰えるだろう。が、歩くには少し遠く、伝馬舟を使うしかない。しかし、自腹を切ってわざわざ行ったとしても、その占い婆がいるとも限らなかった。それは、今日、半日、歩いてみて実感した事だ。小遣い稼ぎていどに生業とする者も多くいて、そういう者は常に店を出しているわけではなかった。
 それに、例え行かなかったとしても、こういう話があったとだけ報告すれば、その方面を担当する引手に任せるに違いない。それとも、もう誰かが行っているかもしれない。それどころか、既に、誰かが目的の易者を見付けているかもしれなかった。
 そこから導かれる結論としては、行くのは損だ、という事だ。範疇を超えた仕事までする必要はない。欲をかいてうまく行くことなど、滅多にないことだ。
 ――ま、いいか……
 今日はここ近辺をぶらつきながら、目に付いた易者を訊ねて時間を潰すことにした。何も、毎日、真面目に仕事をする必要はない。たまにはこういう日があっても良いだろう、と太吉は己を許した。あした、今日の分も頑張れば良いだろう、と反射する光も鈍い水の流れを眺める。
 ――雨もきそうだしな。
 木の枝が大きく揺れ初めていた。風が少し強まってきたようだ。西方の空に筋状の雲がかかって見えた。



back next
inserted by FC2 system