kumo


 僧侶は、全部で十三名。皆、正慶と同じく髪を短く残し、多少の高低差はあっても、正慶と似た体格の持ち主ばかりだった。中でも、先頭を歩く僧が際立っている。
 見た目からして、年齢は黒羽よりもふた回りは上だろう。僧侶の中でもいちばん年上に違いない。しかし、黒々とした瞳に太い鼻柱、がっしりとした顎のはっきりとした顔立ちといい、やはり、鍛え抜いているだろう体つきといい、ずっしりとした重量感が感じられる。なのに、気配は穏やかすぎるほど穏やかだ。まるで、水紋さえたたない底の知れない沼地を前にしたかの様な印象を黒羽は受けた。
 ――これは……
 徒者ではない、と黒羽は本能的に身を硬くした。今、彼の隣に立つ正慶を上回る存在であることに間違いはない。
 正慶がその場に膝を突き、頭を床板に擦りつけんばかりに低くした。
「おかえりなさいませ」
「正慶、その方々は」
「はい。人を捜して訪うた方々でいらっしゃいます」
「人捜しとは」
 問い掛けに、正慶は、かくかくしかじかと説明をした。
「それはお気の毒に。さぞやご心配な事でしょう」先頭に立つ僧侶は、眉根を寄せた表情で言った。「行孝《ぎょうこう》、昨日、龍神大社に降りたのはおぬしであったな。そのような娘御に心当たりはあるか」
 はい、と後ろにいた僧侶のひとりが畏まった様子で答えた。
「確かに龍神大社を出た所で、ひとりの娘御より御明かし文を頼みたいとのお話を承りました。ですが、作法が分からぬ故、教えて欲しいとのお申し出でした」
「それから、どうしましたか」
 思わず声を大きくしての黒羽の問いに、
「お教えするにも街中でしたので騒々しく、そのままこちらへご案内差し上げました」
 との答えだ。それに思い出したように、先頭にいた僧侶が、ああ、と声をあげた。
「昨夜の祈祷の折のあれがそうであったか」
「はい。あちらの経堂にて認したためて頂き、お受けしたものです」
「それはこの娘ではありませんでしたか」
 黒羽は、懐から菊の似顔絵を取り出した。階を降り、間近に僧侶に見せる。
「はい、この方です。間違いございません」
 はっきりと行孝という僧侶は頷いた。
「それで、御明かし文を受け取った後、娘はどうしましたか」
「お帰りになられました」
「帰った?」
「はい」
「ひとりでですか」
「はい」
「その時、境内には他にも人がいたでしょうか。怪しい者は見かけませんでしたか」
「どうでしたか……私も務めがございましたので、そこまで注意を払っておりませんでした」
「そうですか」
「申し訳ございません。まさか、かような事があろうとは思ってもおらず」
 気の毒そうな表情を浮かべて謝罪する僧に、いえ、と黒羽は首を横に振った。
「お許しいただければ、経堂内を見せていただきたいのですが」
「私がご案内致しましょう」、と答えたのは、先頭に立つ僧侶だった。「おまえたちは行を続けていなさい」
 その言葉に、残り十二人の僧侶と正慶は頭を下げると、しずしずとした足取りで本堂内へと入っていった。
 黒羽は改めて僧に頭を下げた。
「申し遅れましたが、私は黒羽と申します」
「佐久間です」
「私はこの寺の住職を務めさせていただいております、芳西《ほうさい》と申します。どうぞ、こちらへ」
 促されるままに、ふたりは後に従った。
「ひとつお訊ねしてもよろしいですか」歩きながら、佐久間が問いかけた。「先ほど、お堂の裏手からこられたようですが、あちらに何かあるのですか」
「奥院がございます。今は涸れてございませんが、御神泉の跡地を修業の場として使わせて頂いております」
「御神泉? そんなものがあったのですか」
 それは黒羽にしても初耳の話だ。
「左様。今は海風寺と名を改めておりますが、元は海風院と言って、御神泉を祀る社でした」芳西は立ち止まると、本堂を抱くようにそびえる雲引山を見上げた。「あれに見える雲引山にあられるという玄武の守護の下に湧き出づる神水であったと伝わっております。痕には岩場ばかりが残っておりますが」
「玄武ですか。確か北を守護する神獣であると聞いたことがあります」
 亀の身体に蛇の尾を持つ玄武にあっても、龍と同じく伝説の存在でしかない。
 芳西は頷いた。
「雲引山のいわれは、常に頂きに雲を棚引かせていることから名付けられたものでありますが、水を司る玄武が山にあって、東の海からの風に雲を乗せ、呼び寄せている故との伝承も残っております」
「ああ、だから海風院と」
「左様。雲引山はこの都の水甕としての役割を担っております。或いは、北からの侵略を拒む楯としての存在もあったかもしれませぬ。故に、祀られてもおりましたのでしょうが、いつしか泉も涸れ、平和な時の中では祀る意味も失い、廃されたのかもしれませぬな」
「そうですか」、と再び歩き始めて、佐久間は相槌を打った。
「随分とお詳しいですね。ここへいらしたのは、最近だと伺いましたが」
「今年の初めよりお許しを頂いて、修業の場とさせて頂いております。いわれなどは、以前、読んだ書物に記されてあったのを覚えていたもの。いま思えば、それも仏のお導きであったのでしょう」
「大聖歓喜天といわれる仏の、ですか」
「左様」
 黒羽の言葉に肩越しに振り返った瞳には、僅かな笑みが含まれていた。
「先ほどのお坊さまにも聞いたのですが、何でも願い事をかなえて下さる仏さまとか。一体、どういう仏さまなのですか」
 好奇心で黒羽が問うと、芳西はゆっくりと首肯して、
「大聖歓喜天さまは二体の象頭人身の抱きあうお姿をしておられ、それは男女であり、陰陽和合、天地一体をお示しになられております。つまり、この世全ての理であり、諸仏、諸菩薩の親でもあられます。故に厳しくもあるが、最も慈愛に満ちた有り難い仏さまと申せましょう」
 と、拝むように頭が下げられた。
「そうですか。しかし、象とは見たことはありませんが、遥か異境の地にあって鼻が六尺もある獣と聞いた事があります。この様なことを言ってお気に障るかもしれませんが、正直、そのような姿であるとは、少々、異様な感じもします」
「何事も見た目で判断するものではございますまい。あなた方が神と呼ぶ龍にしても、また異形のものでありましょう」
「確かにそうかもしれません」黒羽もそれには頷いた。「しかし、そのような珍しき仏を祀るとは、どちらよりいらしたのですか」
「西よりあちこちを行脚して参りました。より多くの衆生の助けにならないかと都に出て参った次第です。さて、こちらが経堂となっております」
 本堂より少し裏手に入った場所に、低木に隠れるようにして小さな建物があった。古さを感じさせる杉の板も茶色に変色した建物は、本堂同様に修繕の跡はみられるが、程よく使い込まれた落ち着きを感じさせた。
 放ち出での前に立ち、黒羽と佐久間は一通り建物を眺め回した。
 開け放たれた小さな六畳間には、写経などをする為の三つの机が置いてある以外には塵一つ落ちていない。注意深く見ても、菊がいたという気配もなかった。
 黒羽は奥まって隣接する建物に視線を移した。
「あちらの建物は」
「厨など私共の寝食の場とさせていただいております」
 ちらり、と佐久間の方を見たが、黙って首が横に振られた。黒羽は小さく吐息をつくと、芳西に向かって頭を下げた。
「お手間をとらせて申し訳ありませんでした。どうやら、無駄足だったようです。ご迷惑をおかけ致しました」
「いえ、お助けになれず残念です。せめて、お捜しの方が無事に見付かりますよう、仏のご加護をお願い致しましょう。他にも何かお手伝い出来る事がございましたら、ご遠慮なく。これも何かの縁《えにし》でありましょうから」
「重ねてのご親切、かたじけなく」
 そうして、その場を去ろうとしてから、ふ、と思い出し、僧侶を振り返った。
「そう言えば、こちらによく当ると評判の占いがでていると聞いたのですが、今日はないようですね」
 それには、
「ああ、ふた月ほど前から敷地内で店を開いている老女がおりますが、その者の事でしょう。寺とは関係のない者で、私どもも詳しくは存じませんが、何をするわけでもないので黙っております」
 と、気にもしていない様子の返事があった。
「そうでしたか。いれば行方も占えたかもしれなかったが。では、これにて」
 数珠を持つ手に改めて軽く頭を下げ、黒羽と佐久間は寺を後にした。
 帰りの石段を降りる黒羽に言葉はなかった。沈黙を守る背に、佐久間は堪えきれなくなった様子で声をかけた。
「黒羽さん」
「なんだ」
「一瞬だけ見えました。境内を歩く僧侶たちの内のひとりが、花柄の着物を着た娘を肩に担いでいるのを。娘の顔は見えませんでしたが、意識はない様子でした」
 黒羽の肩の揺れが、僅かの間止った。しかし、すぐに動きだす。
「お菊は鴬茶の紬だったと言うから別の娘だな」
「しかし、僧侶が若い娘をそのように運んでいるのは不自然でしょう」
「そうだな。それで、娘は」
「分かりません。ほんの刹那に見える事ですから。ですが、本堂、裏手の方へ向かっていました」
「奥院の方か」
 黒羽は呟いて、また、口を閉ざした。
 だが、逆に佐久間は声を大きくする。
「今からでも戻って、探索すべきなのではないですか。あの者達の気配の断ち方の見事さといい、自分には、とてもただの修行僧とは思えません。きっと、何か手掛かりが、」
「慎め、佐久間。見張られているぞ」
 低い声に佐久間は、はっとしながら、周囲の木立をそれとなく伺った。勿論、人影はない。が、流れる風の中に含まれる僅かな人の気配に気付かされた。
「四丿隊の者だろう。念のいった事だな」
 彼等が約束通りにするか、見張りの為だろう。二丿隊副隊長である男は、口元に皮肉な笑みを浮かべた。峰唐山も見かけによらず、こういった事には細かくある。
 ――それとも、ほかに何かあるのか…… 
「詰所へ戻るぞ。隊長へ報告をした上で、次の指示をあおぐ」
「はい」
 黒羽の左手が腰にない刀を求めるように動いてから、握り拳をつくった。



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