kumo


 一晩、降り続いた雨は、次の日になっても、一向に止む気配がなかった。灰色の雲は天に居座り、人の心を映したように沢山の滴を落とし続けた。
 菊が死に、すゑが道連れとなった。源八は軽傷であったのが幸いだが、旭日は命を取り留めたものの、未だ予断を許さない状態にあった。
 未明近くに騒ぎは一段落し、二丿隊の寮も静けさを取り戻していた。が、内情はずたずたとしか言いようがなかった。目に見える傷もそうだが、隊士らに残された精神的な傷の影響が大きすぎた。
 二丿隊隊士たちは眠れぬ夜を過し、怪我人の看病や片付け、菊とすゑの夜伽に付合って朝を待った。
 和真は、各方面への連絡や事態の収拾に手の離せない稲田や、最も精神的に参っているだろう黒羽に代わり、隊の中心となって指示を出していた。
 その中で助けとなったのは、他の隊からの救援だった。
 いち早く駆け付けた一丿隊は、水無瀬が直々に顔を出し、治療班の数人と沢木を置いていった。
 一丿隊の副隊長は二丿隊でも隙のない手腕の片鱗を披露し、適確な指示のもとに動揺の収まらない二丿隊隊士たちを纏め上げる上で大いに貢献した。
「話あってすぐのこのような事態、残念です」
 夜半過ぎ、ひと通り落ち着いたところで、半壊した厨に立った沢木は和真に言った。
 空いた壁穴から風雨が吹き込むそこは、既に、ただ壊れた厨の風景だけでしかない。怪我人や亡骸は運び出され、木っ端などの瓦礫も片付けられた。床に流れた大量の血や撒き散らされた灰も洗い流され、今は濡れた土間と床板だけが曝されている。が、和真は、残る微かな鼻を掠める錆びた匂いに、胸焼けに似た感じを受けていた。実際、片付ける以前は、あれで気分を悪くした隊士が何人もいた。
 沢木が彼の腰に帯びた刀に眼をやった。
「その刀、少し見せて頂けますか」
「これをですか」
「はい」
 理由も分からないまま、和真は言われた通りに鞘ごと引き抜いて、沢木に手渡す。沢木は受け取った刀を鞘から半分だけ刃を抜き、見つめると言った。
「やはり。直ぐに研ぎに出すか、御自分で手入れするかした方が宜しいでしょう。刃毀れがあります」
「ああ、少し打合ったせいかもしれません」
「あやかし相手には強いものですが、刀同士ではこうなります」
「はい」
「それもあって、風の制御が上手くいかない面もあったのでしょう」
 言われて、沢木が建物を壊した原因について言っている事に気付き、和真は赤面した。と、同時に、見てもいないのにどの力を使ったかよく分かったものだ、と感心する。
「尤も君の場合は、これと合わない面もあるのでしょうが」
 刀を返される際に、そんな事も付け加えられた。
「え、それは、どういう」
 和真の刀は護戈になって初めて渡された時から変えてはいない。最初は違和感のあった重さにも慣れ、手にも馴染み、扱い易いほどだ。確かに少々やりすぎたか感はままあるものの、あやかしを討ち仕損じる事もない、大事な愛刀だった。
 意味を聞くより先に、玻璃の視線は別方向に向けられていた。いつの間にか、沙々女が立っていた。
 なにか、と問う沢木に沙々女は三丿隊の来訪を告げた。
「やあ、沢木くん。君がいるという事は、あらかた片付いているという事ですか」
 気安い口調で声をかけながら、後ろに五名の護戈衆を引き連れた白羽織が姿を見せた。
「白木隊長」
「それにしても、随分と派手にしたものですね」
 苦笑混じりに周囲を見回した言葉にどう答えたものか、と迷う和真の前で沢木は白木に一礼をすると、「では、後はお任せして宜しいでしょうか」、と訊ねる。
「その為に部下も連れて来たのですからね」
「では、私はこれで。水無瀬への報告もありますので」
「ああ。それと、君は羽鷲くんだったか。稲田隊長は、今はお手空きかな」
「はい、御案内します」
 白木は頷くと、ひとつ手を叩く調子で部下たちに沙々女を手伝うように言いつけた。その合間に、和真は去ろうとする沢木に頭をさげた。
「有難う御座いました。お陰で助かりました。水無瀬隊長にも宜しくお伝え下さい」
 沢木は頷き、小声で答えた。
「羽鷲くん、彼女から出来るだけ眼を離さない方がいい」その視線の先には、沙々女がいた。「原因が分からない限りは、彼女も同じようなめに遭わないとも限らない。その旨、稲田隊長にもお伝えを」
「承知しました」
 沙々女に視線を向けた刹那の沢木から発せられた鋭さに、そういう事もあったかと和真は納得した。しかし、格上らしいところを見せつけられたようで、少しだけ悔しく思う。
「白木隊長、ひとつお訊きしても宜しいですか。刀についてなのですが」
 稲田のところへ案内する途中、武器について詳しいだろうその人に訊ねてみた。
「なんだね」
「刃が毀れると、力の制御はしにくくなるものでしょうか」
 それには、ああ、と面白そうな頷きが返ってきた。
「そういうのはあるね」
「そうですか。そこまでとは気にもしていませんでしたが」
「直接、相手に刃を当ててひくに比べて、五行の力の触媒として使う場合も刀による作用はより大きくなるものだよ。刃毀れは言うなれば、刀が怪我をしている状態だ。怪我をしていては存分に力を発揮するもかなうまい」
「怪我、ですか」
「そうだよ。刀とは繊細なものだ。女性を扱うつもりで優しくしてやらねば、拗ねて言う事を聞かなくなる。常に気に掛け、美しくあれと手をかけてやらねば、持ち主に爪を立てるどころか、骨の髄を断ち切られる事にもなりかねないよ」
 その例えは理解しやすくはあったが、逆に分かり難くもあった。
「では、持ち主と合う、合わないというのもあるのでしょうか」
「勿論。相性の悪い女性の扱いほど困るものはないだろう」
「はあ」
 やはり、この隊長も変わっている、と和真は内心で溜息を吐く。ただ、沢木の指摘は間違ってはいないらしい。
 少なからず他より長じていると思っていた己の持ち物の扱いひとつに、未だ足りない部分を感じた和真は、なんとも言えず歯がゆい思いを胸の内に抱いた。

「ご馳走さまでした」
 茶を飲み干してから、空になった皿に向かって稲田は手を合わせた。そして、指先に残った海苔の欠片を舌先で舐め取った。
 普段よりも塩味の効いた握り飯と濃い味の味噌汁は、三丿隊の隊士が作っていったものだと言う。器用で知られる三丿隊隊士たちは、厨の片付けだけでなく一部壊れた窯も修復した上、皆の夜食兼朝食まで作って帰っていった。
 実に気が利いたものだ。
 どうやら、沙々女を前にして鼻の下を長くした事に起因するらしいが、それぐらいは許すべきだろう。
 それよりも、気になるのは白木の話だ。
 水無瀬の機転により知らされての訪問だったのだが、白木としても互助目的よりも、聞き捨てならぬ事であったらしい。
「そちらでも多少は耳に入っているでしょうが、我が隊が遭遇した常葉屋の一件。ちら、と聞いた分には、あれと非常に似通っていると感じましてね。確かめに来ました」
 三月ほど前、閉店間際の呉服問屋の常葉屋に、はると言う三味線の師匠がいきなり押し掛けて、店の主人とその妻子、また店の番頭やら手代やら数人を出刃包丁で刺し殺した後、自害して果てたという事があった。
 三丿隊は巡回中でその近くを通ったにも関らず、滅多にない事だが、異変には気付かなかったそうだ。報せを受けて急いで駆け付けた時には、既に事は終っていた。護戈よりも先に柝縄に知らされた為、出遅れた形になったのも原因となった。
 後になって、辛くも生き残った丁稚の話を聞くに、はるは、まるで狐が憑いたかのようであったと言う。笑いながら、大の男を力任せに跳ね飛ばし、手近にいる者から順番に刺していったらしい。そして、その後ろ姿には太い尾の影が見えた、と証言した。
「とは言え、如何な狐憑きにしても、これだけの凶状を働くなどという話はこれまで耳にしたことがありません。せいぜい、人を誑かしては小銭を巻き上げる程度の悪戯ばかり。ですが、ここで起きた事が正しく狐の仕業となれば、何ゆえか突き止めるも吝かではありません」白木は珍しくも立腹した声でそう言った。「たかが狐にしてやられたとは、護戈の名折れ。決して、これだけで終らせますまい」
 自尊心が傷つけられただけではすまない稲田も、それにはしかと頷いた。そして、今後もこの件に関る事あれば、お互いに知らせあう約束をして白木は帰っていった。
 長い夜が明け、未だ消沈から抜けきらない二丿隊隊士たちは数名を寮に残し、それでも今日の務めを果たすために詰所へと向かった。



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