kumo


「どうぞ、こちらです」
「悪いな」
 傘を開く頭一つ上から、にやにやとした笑い顔が言った。手にする傘は赤い地に下がり藤の柄。どうやら、通う先のおんなのものを持ち出してきたらしい。
「どういたしまして」
「お手数おかけします」
 鼻を鳴らして愛想なく答える先から、もうひとつ声があった。聞き慣れない高い声に、和真は視線を下に向けた。
 大男の影に隠れるようにして、もう一つ小さな笠がいた。丸く大きな瞳と視線が合うと、少年は彼に向かって軽く会釈をした。
 子連れか、と思う間もなく、稲田の話に出た和仁口惣三郎である事に和真も思い当る。
「惣三郎、水溜まりで溺れんなよ」
「嫌だなぁ、顕光さん。そんな事あるわけないじゃないですか」
「冗談に決まっているだろうが。いちいち真に受けるんじゃねぇよ」
 馴れ馴れしいばかりに言い合うふたりの様子は、随分と奇妙な取合わせに感じた。岩山の如き凶悪顔の大男と、その男に怖けることなく平気で名を呼ぶ十才位の子供。普通なら親子と思うのだろうが、そういう風にも見えない。
 ――なんなんだ……
 そう思いながらも顔には出さず、和真は先に立って歩く。と、すぐに峰唐山が横にならんだ。
「昨夜は、随分と派手にやらかしたそうじゃねぇか。厨の半分を吹っ飛ばしたんだって」
 早々に絡んでくるにしても、芯をついてくる嫌らしさだ。
「床と屋根の一部が壊れた程度です」
 むかつきを腹の底に押し込めて、和真は遣り過ごそうとした。
「けど、やったんだろ? 白木が言ってたぜ。たかが、狐一匹にあそこまで力を使う事ぁないだろうってな」
「加減しました」
「ほぉ、加減してそれかい。それじゃあ、まだまだだなぁ」
 顔を見なくても分かる、薄ら笑いが言った。
「厨ごと吹き飛ばせば良かったとでも」
「違うな。その逆だ」へっ、と笑い声もたつ。「その程度じゃあ、叔父貴があの世で泣いてるぜ」
「叔父は関係ないです」
 不愉快さに堪えきれず、和真はきっぱりと言った。まったく、峰唐山は彼の苛立ちのつぼを心得ているらしい。
 護戈衆の中でも指折りの剣の使い手であった叔父の名は、鬼籍に入った今でもこうして語られる事がままある。和真にとっては誇らしくはあったが、逆に中腹《ちゅうっぱら》になりもする。
 峰唐山は頓着せず、話を続けた。
「俺と互角に渡り合えたのは、今のところ羽鷲だけだ。あいつと試合うたんび、わくわくしたもんさ。結局、決着をつけねぇままに逝っちまいやがったけれどな。その代わりといっちゃあなんだが、遊びに関しちゃあつまらねぇ男だったぞ。かってぇ男でな。その点、おまえさんは似てねぇな」
「それは申し訳なかったですね」
「なあに、謝るこっちゃねぇ。ただ、腕の方はまだまだ鍛える余地がありそうだなぁってその程度さ。なあ、ひよっこ」
 露骨すぎる侮蔑に、和真はごつごつとした男の顔を睨まずにはいられなかった。
「お、いやがるじゃねぇか」
 寮に到着するなり稲田の気配を察知したらしい峰唐山はひとこと言うと、刀を預ける事もせず、ずかずかと中に入りこんだ。慌てて蓑を外した少年がその後を小走りに追い掛ける。
「あちらの部屋でお待ちを。呼んで参りますので」
 前に立ち塞がる和真を、峰唐山は凄みをきかせて上から睨み下ろした。
「こっちも急いでいるんだ。おい、稲田、どこにいる!」
 張り上げた大声に寮中の柱が震えた。
 折角、繋ぎとめていた和真の我慢の糸も限界を迎え、あえなく断ち切れてしまう。
「なに勝手やってんだ。それが見舞いに来た態度かよ!」
「うるせぇ、黙ってろ、ひよっこ。おい、稲田、いるなら返事しろ!」
 格上を承知で怒鳴る彼を、峰唐山は眼中にない様子で鼻の先であしらった。それが余計に和真の怒りに火を点けた。
「ひよっこ、ひよっこって、てめぇ、馬鹿にすんのもいい加減にしろよ、こんの岩窟岩山男が。人の弱みにつけこんでしか女を口説けない癖しやがって!」
「剣もまともに扱えねぇひよっこが、一人前の口を聞くんじゃねぇよ。尻に殻つけてぴぃぴぃ鳴いてろ、ひよっこ」
「本当にそうか、今から試してみるか」
 柄に手をかけた和真に、峰唐山のなきが如しの眉の高さが段違いになった。だが、静かに障子の開く音が、それ以上の動きを止めた。
「ふたりとも煩いよ」
 奥の部屋から首だけを出す稲田がいた。
「なんだ、そこにいやがったのか」
 峰唐山は和真を脇に押し退けて、稲田に向かった。
「おい!」、と腹の虫が収まらない和真を、稲田の、いいから、の一言が止める。
「おい、舵槻衆からはまだ来てねぇか」
「午後には来るとは思うけれど、まだだよ」
「間に合ったか」
 峰唐山と和仁口少年は、お菊とすゑの亡骸を安置する部屋に遠慮する様子もなく上がり込んだ。
 腹の虫が収まらない和真もこのまま引下れず、後に続く。と、ふたつの亡骸を前に稲田と沙々女がいた。
 どっかりと胡座をかいて座り込んだ峰唐山は、へぇ、と沙々女をじろじろと見回して言った。
「二丿隊に別嬪さんがいると話しにゃ聞いていたが、成程、上品だ。ただし、少しばかし色気に欠けるか」
「この娘はそういう娘じゃないんだから。そういう口の聞き方はやめてくれないなかな」
 眉根を寄せた稲田を、峰唐山はせせら笑った。それで、と言う。
「狐に憑かれた娘ってのは、この仏さんか」
「そうだけれど、それで、用向きは」
「いや、こっちに用があってな。どれ、まず顔を拝ませて貰うか」
 峰唐山はお菊の顔を覆う布を取った。途端に、隣に座った少年の顔が強ばりを見せた。が、まじまじとその顔を見て後、静かに手を合わせた。
「確かに、おまえさんが捜していたっていう娘だな」
 峰唐山は頷き、いきなり掛けてあった夜具を捲ろうとした。
「だめ」
 真っ先に反応したのは、意外にも沙々女だった。素早く身を乗り出し、真っ白な上掛けを握った男の手を両手で押えた。
「だめです」
 沙々女は瞳を合わせることなく、怒るでもない表情で繰返した。しかし、そこには頑ななまでに許すことのない雰囲気が見て取れた。
 おいおい、と流石の四丿隊の隊長も少なからず面食らった様子で稲田の顔を見た。
「そりゃあ、君が悪いよ」稲田は慌てる事なく言った。「まず、どういう事か説明してくれないかな。舵槻衆の使いが来るのと、どういう関係だい」
 けっ、と峰唐山は吐き捨てるように言うと、上掛けを持つ手を引っ込めた。自然と払われた形になった沙々女の手は、すぐに元の膝の上に戻った。
「じゃあ、その前に訊くが、この娘の身体に傷はあったか」
「傷?」
「前にてめぇらが見付けた娘っこと同じように、切り刻まれていたかって訊いてんだよ」
「どういう事だ」
 成り行きを見ていた和真は、思わず問い返していた。
「どうって、そのまんまだよ」
 その答えに、次に誰の手を借りることなくひとりで菊の身を浄めた沙々女を見た。
「ただの狐憑きじゃなかったって言うのか。沙々女、答えろ」
 娘は黙ったまま俯いただけだった。だが、それが肯定ととれた。
 ふぅ、と稲田は溜息を吐き、腕組みをした。
「何故、言わなかった」
 込み上げる怒りを押えながら、重ねて問い掛ける和真に答えたのは稲田だった。
「そりゃあ、言えるわけないでしょう。大事な友達の身体が傷だらけでした、なんて。それに、昨日のあの状況じゃあねぇ。言えば、皆んな余計に落ち込むでしょう」
「賢明だな」、と峰唐山も同意する。
「知った風な口を、」
「なにも知らねえわけじゃねぇ。こいつの懐いていた姐ちゃんも、同じだったってぇ話だからな。ただ、そっちは狐憑きにはならなかったみてぇだが」
 思いがけない話の展開に和真と稲田は、同時に峰唐山がこいつと指した少年の方を見た。
 和仁口少年はひとことも答えることなく俯いてはいたが、小さな両手が堪えるように袴を握りしめていた。瞳もうっすらと赤く染まっている。
「沙々女ちゃん、呼ぶまで、この子を別の部屋に連れていってあげてくれないかな。お菊ちゃんたちは、俺が見ておくから」
 稲田の言葉に沙々女は黙って頷くと、惣三郎少年を促し、静かに部屋を出ていった。
 見送った峰唐山が、ふうん、とひとりで納得するように頷いた。
 それで、と稲田は幾分、硬くなった表情で問いかけた。
「最初から説明してくれないかな。分かりやすく」
「面倒臭ぇなぁ」
 峰唐山はぼやきつつ、話し始めた。



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