kumo


 和仁口惣三郎の知合いだった娘、茜は、四丿隊近くの旅籠で女中奉公をしていて、ひょんな事で知合った少年を弟のように可愛がった。少年も茜に懐き、暇を見付けては会いに行っていた。
「道歩いていたところを、いきなり雑巾水ぶっかけられたのが最初だそうだ。ただでさえ、あいつも親兄弟なくしたところへ持ってきて、離れて暮らしている弟に似てると可愛がられちゃあ、情も湧くってもんだ。その辺、あいつもただの子供《ガキ》だったって事だな。ところが、その姐ちゃんが急に姿を見せなくなって、数日後に凍った池に浮いて見付かった。あいつが最後に会った時、北の寺に行くと言っていたそうだ。例の海風寺って寺だ。占ってもらうとかでな」峰唐山はひとつ鼻を鳴らして稲田を見た。「そん時ゃ、どうも思わなかったらしいが、おまえが来て寺の話が出たもんだから、怪しいと思ったらしい。ひとりで乗り込むつもりしやがってた。敵討ちじゃねぇが、自分の手で下手人を捕まえたいんだとさ。あの後、様子がおかしいんで、問い質したら吐きやがった」
「問い質した? 締め上げたの間違いだろう」
「まぜっかえすんじゃねぇよ、ひよっこ」
 まあまあ、と稲田はふたりの間に軽く割って入った。
「つまり、寺に関りがあるかどうか、確かめに来たと」
 確かめる言葉に峰唐山は、そうだ、と答えた。
「実は、いなくなる前にこのお菊ちゃんもそこで占って貰いに行っていたんだ。その後で、坊さんに会って、御明かし文を渡したそうだ。でも、寺自体はその占者とは関係ないって坊さんは言ったそうだよ」
「ふうん、じゃあ、その占い屋が殺ったか」
「いや、小さなお婆さんだったって言うし、それは考えにくいでしょう。憑かれていたなら兎も角、他にも誰かいるって考えるのが筋だと思うけれど」
「まぁ、そうだな。噂じゃあ、茜って娘には男に嬲られたらしい痕があったって話だぜ。生きている内か、死んだ後かは知らねぇが」
「酷い事を」
 稲田は労しくも、静かに目を閉じるお菊の顔を見た。
「外道が」
 和真も怒りに唸った。
「それで、亡骸をあらために来ただけってわけじゃなさそうだね」
 伺う稲田に、「流石、話が早ぇな」、と峰唐山は鼻で笑った。
「手掛かりは舵槻衆がすべて握っていて、俺たちだろうが、身内だろうが、何ひとつ洩らそうとしやがらねぇ。知らぬ存ぜぬ、朝三暮四を通しやがる。改めて探るにしても、あんなガキひとりに何が出来るわけもねぇ。だが、このままでも納得しやがらねぇ。なんだかんだとちょろちょろ嗅ぎまわっては、鬱陶しいばかりだ」
「そういう事ね」稲田は溜息まじりに答えた。「ひとつ訊くけれど、その茜って娘は、ただ遺体で見付かったってだけ?」
「さて、そこよ。先にてめぇらが見付けた娘っこにしても、他に何があったわけでもねぇ。それが、同じ切り刻まれるにしても、どうしてこの娘だけが狐憑きになったのか腑に落ちねぇし、分からねぇ。同じ下手人とも限らねぇ。なにも分からねぇが、狐憑きとなると、立派に俺たちの領分だ。しかも、二丿隊で事が起きたとくりゃあ、関る言い訳には充分だよなぁ、稲田」
「まぁ、元より放っておくつもりはないけれどね」呆れ顔が答えた。「つまり、代わりに調べて、分かった事を教えろって言いたいんでしょう」
「そうだ。今日は随分と物分かりがいいじゃねぇか」
「そりゃあ、どうも。当然、協力はしてもらえるんだよね」
「事と次第によるがな」
「事と次第ね。で、羽鷲」
「はい」
「この話は、他の皆には内緒ね。特にお菊ちゃんの事は刺激が強すぎるから」
 ああ、と不服の声をあげたのは峰唐山だった。
「てめぇ、たった今、引き受けるって言ったばかりだろうが。それとも、このひよっこ一羽に全部任せるって言うんじゃねぇだろうな」
「その、ひよっこって言うのはやめろよ、おっさん」
「ひよっこをひよっこって言って、何が悪い」
 またぞろ低次元な口喧嘩になりそうなところを先んじて、稲田は窘めた。
「二人ともやめなさいよ、こどもじゃないんだから。実は、もう手は打ってあるんだよ。勿論、羽鷲にも手伝わさせるけれど」
「なんでぇ、それを早く言えよ」文句がましく峰唐山は言った。「おまえさんのこったから、抜け目なくやってんだろうな」
「まぁ、期待せずに待っててよ」
 のんびりと言う稲田に、大男はとても笑っているとは思えない表情を浮かべた。
「しょうがねぇな。じゃあ、これで話もついたって事で、惣三郎を呼んできてくんな、ひよっこ」
 途端、和真のこめかみに、またもや太い筋が浮き立つ。
「それをやめろって言ってるだろう、おっさん。顔だけじゃなく、耳まで腐ったか」
「ひよっこが嫌なら、小童、惣三郎を呼んできな」
「喧嘩売ってるだろう!」
 深く大きな溜息が、間を縫って流れ出た。
「羽鷲、頼むよ」
 ふん!
 額を押える二丿隊隊長と薄ら笑いを浮かべる四丿隊隊長のふたりを残して、和真は部屋を出た。
 腹立ちに足音を高くして広間へと向かう。気配を辿ったそこに、沙々女と少年を見付けた。
 泣いているのか甘えているのか、拍子を取るように背中を軽く叩く沙々女に和仁口少年が、全身でしっかりとしがみついている。短い時間に、随分と懐いたらしい。
「おい! 呼んでるぞ」
 乱暴な声に、少年は初めて和真に気が付いたようだ。慌てて沙々女から離れると、瞳をこすった。
「ごめんなさい……」
 恥ずかしそうに謝る前に、沙々女は湯飲みを差し出した。
「あ、ありがとうございます」
 そう言って、少年は受け取ったばかりのその中身を一息に飲み干した。
「ごちそうさま」
「おそまつさまです」
 湯飲みを返す手に躊躇いがあった。瞳だけでなく、耳までも赤く染まっている。
「あの、ありがとうございました」
 俯く少年に沙々女は手を伸ばし、その乱れた前髪を指先で軽く撫でて直した。
「おい、早く来い」
 いっかなその場を動こうとしない少年に苛立ちながら急かせば、漸く立ち上がりはしたものの、視線は沙々女に残したままだった。
「はい。あの、それじゃあ、」
「おい!」
「はいっ!」
 少年は沙々女に深く一礼をすると、慌てて和真の後についた。和仁口少年を連れた和真は、来た時と同じ足音で部屋に戻った。
 峰唐山は、戻ってきた少年に茜殺しの下手人捜しは二丿隊に任せると告げた。
「わかりました」
 意外にも、和仁口少年は聞き分けよく頷いた。峰唐山は満足げに、嫌がる子供の柔らかい髪の毛を乱暴に掻き混ぜた。
 帰る四丿隊隊長と少年を、沙々女も玄関まで見送りに出てきた。
 雨除けの蓑を身に付けるのを沙々女が手伝う間、少年はまだもじもじと、何かを言いたそうな素振りを見せた。蓑をつけ笠を被ったところで、やっとという様子で頭を下げた。
「あの……おじゃましました」
「どうぞお気を付けて」
 指を付き深々と頭を下げる沙々女に、峰唐山は、ふうん、と声をあげると言った。
「あんた、俺のおんなにならねぇか」
「峰唐山、てめっ!」
「冗談はやめてくれって言ったでしょうが。この娘はそういう娘じゃないんだから」
 峰唐山に掴み掛かろうとする和真を素早く背後から羽交い締めにしながら、稲田が答える。
「冗談じゃねぇさ。俺は本気だぜ」大男はのうのうと言ってのけると、沙々女に顔を覗き込むようにして再び話しかけた。「見目もいいが、気の強ぇところが気にいった。三度ほど俺に抱かれりゃ艶も出て、そこらの太夫が裸足で逃げ出すぐらいの好い女になるぜ。それこそ、震い付きたくなるようなな。俺んところ来りゃあ、一生、不自由な思いはさせねぇ。綺麗なべべ着て、お姫さんみたいにしてりゃあいい。面倒なこたぁ、全部、他のもんにやらせりゃいいさ。どうだい、一緒に来ねぇか」
「沙々女、こんなやつの話は聞くなっ! 耳が腐る!」
 羽交い締めにされながら、和真は怒鳴った。
「うるせぇぞ、ひよっこ」
「うるせぇのは、どっちだ! このど腐れ野郎っ!」
 喚く和真のその前で、沙々女は静かに頭を下げた。
「申し訳ありませんが」
「ふうん、そりゃあ、残念だなぁ」そう言いながらも峰唐山は、まったく残念そうでもなく言った。「じゃあ、また来るわ。今度はじっくり、あんたを口説きにな」
「来なくていい、二度と来るな!」
 やはり、答えたのは和真だ。峰唐山は、上機嫌の様子で声をあげて笑った。
「塩を撒け、塩っ!」
 遠ざかっても尚、和真の声が峰唐山と少年の耳に届いた。
「顕光さん、」少年は遠い頭上を見上げて訊ねた。「顕光さんは、羽鷲さんが嫌いなんですか」
 ん、と短い声あって、答えがあった。
「中途半端なひよっこは嫌ぇだな。それでも、この俺もひよっこだった頃はあるからなぁ」それで、と小さな笠を見下す。「おまえはどうしてた」
 問いに、和仁口少年は頬を赤く染めながら俯いた。
「冷たい甘水を御馳走してもらいました」
「ふうん、そうかい。そりゃあ、良かったな」
「はい」
「だが、おんなを知るにゃあ、ちっとばかし早ぇえな」
「そんなんじゃないです! 僕はただ!」
「冗談だよ」
 真っ赤になって見上げた顔に、峰唐山は大きく口を開けて笑った。

「は?」
 担当の舵槻衆に本日の報告に戻った太吉は、真抜け顔を晒していた。言われた事が聞こえなかったわけではないのだが、すぐに理解が出来なかった。
 舵槻衆は、鼻の下に長く垂れた髭を指先で弄びながら、もう一度、淡々とした口調で繰返した。
「明日から、護戈、二丿隊へ行きなさい。こちらに顔を出す必要はありません」
「あの、それはどういう、」
「上からの指示です。行って、直接、稲田隊長からの指示をあおいで下さい」
「話を聞くわけじゃないんで」
「内容は私も聞いてはおりません」
「それで、あの、賃金の方は」
「二丿隊を通していつも通りに支払われます」
「でも、まだお登紀が通っていたという占者は見付かっておりやせんが」
「それは良いです」
「へぇ」
 理由も分からないまま、太吉は頷いていた。



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