kumo


 案内された二丿隊の寮は、詰所からそう遠くない木立に囲まれた高台にあった。敷地は相応に広く、隊士達が寝泊まりする二階建ての母屋の他に、庭を囲むようにして、道場と怪我人の治療を行う治療棟の別棟がある。あとは、蔵がふたつ。
 大雑把に説明を受けながら、二丿隊を構成する隊士は、稲田の他二十余名と聞いて太吉は驚いた。
「少ないですね」
「そうかな」
「だって、都半分を守っているわけでしょう」
「でも、人相手でもないし、ひとり頭の守備範囲が広いからねぇ。とは言っても、今はひとりが怪我で治療中。他には評定省からの勘定方がふたりいるけれど、詰所の奥で金銭の出入りを担当しているだけだから数に入らない」
「へぇ」
「寮には隊士のほかに、世話係の女の子三人と男手で源八さんがいる。けれど、源八さんも今、怪我をしていてね」
 とんとんと、どこかで大工仕事をしているのだろう鎚を叩く音が聞えてくる。
「何かあったんですか。そんな怪我人がふたりって」
 通された六畳間に座りながら、太吉は稲田に訊ねた。
 部屋は小さな戸棚がひとつと、文机がひとつあるぐらいの簡素なもので、床の間の刀掛けに腰のそれを置いたところから稲田の私室らしい。
 それだよ、と真顔が言った。
「それで、君に来て貰ったんだ」
 そして、二日前に起きた事件の一部始終を聞かされた。
「そんな事があったなんて知りやせんでした」
 護戈の寮で死人まで出した事件に、太吉は驚きを隠せなかった。
 稲田は重く首肯すると、
「外には出ないようにしているからね。この件を知るのは、護戈衆と評定省のごく一部だけだよ。念の為に言っておくけれど、君もこの件に関しては、一切、他言無用に願いたい」
「承知しやした」、と当然、頷き返す。
「それで、本題はここから。ここまでされて俺たちも黙っているわけにはいかない。あやかし搦みなら尚更だ。それで、舵槻とは別方向で探る事にした。君にはこれを手伝ってもらいたい」
 さらりと言われた内容に、え、と太吉は己の耳を疑った。
「あっしがですか」
「そう。舵槻の手前、俺たちがおおっぴらに動く事は出来ないし、妙な噂を広めかねない。それに、お菊ちゃんをよく知っている分、先入観も入る。というわけで、万事を心得ている君に頼むんだ。なに、普段通りに仕事をして貰えば良いよ。ただ、報告する先が変わっただけと思えば」
「そう言われても、指示された場所に話を聞きに行くだけの事しか出来やせんよ」
「それで充分だ。けれど、君の経験からの考えも、当然、出てくるだろうから、それも参考にさせて欲しい。なに、舵槻の下で務めるよりは融通が利くと考えて貰っていい」
「けれど、狐憑きなんでしょう。万が一、祟られでもしたら、」
「大丈夫。よほど変なことをしない限り、祟りなんざ滅多にあるもんじゃないよ。それに、今のところ、君ら引手が襲われたって話は聞かないし。それに、そんな危ない場所へは頼まないさ」
「いや、でも」
「危なさそうな場所へ行く時は、隊士をひとりつけてあげるし。羽鷲っていうやつでね。彼もこの件については全部知っているから、分からない事があれば、なんでも聞いて貰っていいから」
「羽鷲さん、ですか」
 あの男だ、と太吉は思う。一度、街で擦れ違った護戈衆の姿は忘れていなかった。
「おや、彼の事、知ってるの?」
「ええ、まぁ」
「彼も色々とあるみたいだからねぇ」含み笑いが答えた。「けれど、分かりやすい性格をしているから、取っ付き易いと思うよ。あとで紹介しよう。それで、と」稲田は言葉を区切ると、正座していた脚を崩した。「今度は君の話を聞こうか」
「あっしの話ですか」
 する話など何もない、と答えるより先に、一時的な上役となる男は言った。
「娘殺しの件で、君も幾つか話を持ってるでしょう。舵槻衆も躍起になって手掛かりを捜しているって聞いたよ」
「いや、そんな」
「舵槻の方は気にしなくて良いよ。君を貸してくれた時点で、すべて納得ずみさ。思惑はどうあれ、目的は同じだろうし。どうせなら、二度手間にならないように把握しておきたいんだ。勿論、外に洩れる心配もしなくていい」
「そりゃあ、そうかもしれやせんけれど」
「じゃあ、聞かせてよ。覚えてるんでしょう、全部。引手は、いちど聞いた話を絶対に忘れないそうだから」
 笑顔が怖いと思ったのは、太吉は初めてだった。
 口が固いことには自信があったが、この男にかかれば、関係のない事までべらべら喋らさせられそうだと危ぶみもする。
「はぁ、まぁ、じゃあ、話させていただきやすけど、お役に立つかどうか……」
 観念しながらも身構えて、太吉はこれまで彼が見聞きした事を話し始めた。
 それから一刻ほどが過ぎたが、話はなかなか先に進まなかった。
 稲田が話の途中で、微に細に入り質問を入れる為、しょっちゅう話が前後する。答えている内にどこまで話したか、忘れそうにもなった。
「その河原者はどんな坊さんだとか言っていなかったかい」
「図体がでかいと言っていやしたか。それから、西の方から来た、とだけ」
「西? そう言ったのかい」
「へぇ」
 ふうん、と頷いて、稲田は考え込んだ。太吉は付け加えて言った。
「でも、狐を操るなんて言っても坊さんですから、関係ないんじゃねぇですか」
 だが、それには返事がなかった。その前に響く足音があり、障子に人影が映った。
「羽鷲です」
「ああ、お入り」
「失礼します」
 鴨居を潜るようにして、件の隊士が部屋へ入ってきた。
「羽鷲、彼は太吉くんといって、例の件を調べる為に来てもらった引手だ。太吉くん、彼が羽鷲だよ」
 固くなりながら、はじめまして、と挨拶する太吉に、羽鷲は、どうも、と会釈だけを返した。
 羽鷲は、どうやら太吉のことを覚えていないようだった。一度、道でぶつかっただけなのだから、それも仕方がないだろう。
 斜向かいに座った護戈衆は、彼とそう年も変わらないであろうに、数段、落ち着きを感じさせた。きりりと締まった顔つきは、街中で見た時よりも、数段、男振りが増して見えた。太吉は萎縮しながらも、同じ男でありながらこうまで違うものか、とがっかりもした。
 高すぎず、低すぎない張りのある声で、その羽鷲が言った。
「手を打ったとは、こういう事ですか。しかし、よく評定省が、うん、と言いましたね」
「その辺は色々と手を回してね。けれど、いい人を回してくれたよ。ちょっと話を聞いただけだけれど、この分だと、思っていた以上に早く解決するかもしれない」
「それは良かった。これ以上、野放しにしておけませんから」
「他のみんなには、お菊ちゃんの一件で暫く出入りするって言っておくから、うまく合わせてね」
「はい」
「それで、明日にでも、彼を和仁口くんの所へ連れて行ってあげて」
 途端、凛々しいばかりだった顔立ちが、急に険しくなった。
「どうしてですか。ひとりで行かせても問題ないでしょう」
 しかし、その顔を前にしても稲田はのほほんとしている。
「だって、当然、傍に峰唐山がいるでしょう。普通の人があの顔みたら腰抜かしちゃうよ。聞ける話も聞けないじゃない」
「それはそうかもしれませんが、嫌です。隊長が行かれたらいいじゃないですか」
「俺は他で忙しいの」
「嫌です。どうして、俺があの糞むかつく野郎の所に行かなきゃなんないんですか」
「羽鷲、仮にも一隊の隊長に対して、その口のきき方はやめなさいよ」
「だったら、あっちにも同じ事を言ってやって下さい」
「峰唐山が聞くと思う?」
「あのど腐れ耳じゃあ、無理でしょう」
 太吉が聞いても大した言いようだと思うが、どうやら、羽鷲が峰唐山という隊長にどうしても会いたくない事だけは分かった。確かに、太吉が耳にした話でも四丿隊隊長についてはあまり良い噂を聞かない。だが、その様子はこどもが駄々を捏ねているようにも見える。
「仕方ないなぁ」、と稲田は吐息まじりに言った。
「じゃあ、沙々女ちゃんに行って貰うか」
「どうして!」青年の声が跳ね上がった。「みすみす手込めにされに行かせるようなもんじゃないですか! 隊長だって、この前の奴の言いようを聞いたでしょう!」
「だって、この事を知っているのは、あと沙々女ちゃんだけじゃない。沙々女ちゃんだってもう大人なんだから、嫌なもんは嫌ってはっきり言うよ。峰唐山だって、嫌がる娘に無理矢理なにかしようって事はないさ。和仁口くんだっているのに」
「あれだけ女に汚い奴が、分かったもんじゃない。大体、ろくすっぽ返事もしないやつが、人の紹介なんて出来るわけないじゃないですか」
「そんな事はないと思うけれどなぁ」
「沢木さんも言っていたでしょう。沙々女をひとりにするなって」
「太吉くんが一緒じゃない。それに行くのは、四丿隊だし」
「兎に角、沙々女は行かせられません」
「じゃあ、どうすんのさ」
 ――ああ、やられた……
 太吉は心の内で唸った。
 この稲田という男は、流石と言おうか、やはりと言うべきか、一筋縄ではいかない男のようだ。羽鷲が正直すぎるという事もあるだろう。まんまと思う壷に嵌められていた。
「不本意ですが、俺が行きます」
 憮然とした表情で羽鷲は言った。
「最初から、そう言えばいいのに」、と稲田は余裕の笑みだ。
「じゃあ、詳しい時間とかは後で知らせるから」
「わかりました」
 羽鷲も上手く乗せられてしまった事が分かっているのだろう。脇に置いた刀を拾う手も乱暴で、帰っていく足音も、来た時の倍の大きさで踏み鳴らしていった。
 稲田はくすくすと笑った。
「ま、ああいうやつだから。宜しく頼むよ」
「へぇ」
「暴れだしたら手がつけられないけれど、その時は逃げていいから」
「暴れるんですか」
「たまにね。でも、自分より強い者しか相手にしないから安心していいよ。ただ、巻き込まれて怪我するのは嫌でしょう」
「はぁ」
「じゃあ、さっきの話の続き、聞かせて貰おうか」
 ――なんて人だ。
 曲者、という言葉が太吉の頭の中に浮かんだ。
 用心してかからなければ、知らない内に掌の上で転がされかねないと思った。それとも、もう掌の内かもしれない。今まで経験してきた以上の大変な仕事になるだろう予感は、外れていないと思う。
 それでも、太吉の胸の奥に沸き立つものを感じた。同じ仕事をするにしても、これまでとは全く違う何かがありそうな、そんな気がしてならなかった。


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