kumo


 都の中心から西へ十里ほど行ったところに、戌から卯の方角に向かって緩やかな曲線を描いて流れる大瀬川《おおせがわ》と、子の方角から流れる御衣木川《みそぎがわ》の合流地点がある。
 国でも有数の大河である二大河川は、東西南北を繋ぐ重要な線となっている。日々、大型船が行き交い、人や物資が運ばれる。その河の合流する泊《とまり》は、交通物流の一大拠点として国内でも重要視される。その規模は大きく、三里の幅をもつ河の護岸は整備され、毎日、数多くの船が出入りする。主に国外との海路を繋ぐ東の滄越《そうえつ》の泊と比較しても劣らない。
 特に水の勢いが増す冬の季節を過ぎたいまごろ、晴れた日の都から繋がる水の道は、多くの荷や人を乗せた小船がそのまま川のうねりとなって見える。大河沿いには船宿や茶屋などが建並び、大きな河原者の集落もある。その賑わいは、都の繁華街がそのまま移ってきたかと錯覚するほどだ。現実、北谿の都が繁栄するのも、この合流地あったればこそだ。
 七丿隊へと向かう事となった和真は、逸る気持ちに自らの脚を使って船着き場へと向かった。病み上がりではあったが、そこはやはり護戈だけあって、何艘もの小舟を後に置く速さで目的地に到着した。
 人や物品の出入りを看視する検問所を通り、泊に入れば、既に停泊中だった西への定期船は荷の積み込み作業中だった。
 周囲を見回す暇も持たず、和真は早速に乗船した。
 稲田から渡された公務を示す割り符には、船賃が免除される他、一般乗客とは別に一室があてがわれる特典がついている。船の案内役によれば、今回、彼以外に公務で乗船する者はいないとの話だ。しかし、重要な品を運ぶわけでもない和真は、心を落ち着かせる為にもすぐに船室に入る事をせず、他の乗客に混じり、出航までの時間を甲板で過す事にした。
 筋骨逞しい、がっしりとした体格の人足達が、重そうな荷を次々と積み下ろしする様子を眺める。
 と、そんな彼に、声をかける者がいた。
 振り返ると、背はそれ程高くないにしろ、どっしりとした体付きの男が立っていた。高下駄を履き、白地に紺の卍崩しの着物をまるで山法師のように短く着こなしている。えらの張った丸四角い顔が、畏まって挨拶をした。
「この船の頭を務めさせていただいておりやす、権造《ごんぞう》と申しやす。護戈衆におかれましてはご公務と伺い、一言、ご挨拶させて頂きやす」
 地声からしてよく通るしゃがれ声だ。癖の強い言葉使いは、どこかの土地のものかもしれない。
「護戈二丿隊隊士、羽鷲和真です。雨雀之森領《うじゃくのもりりょう》まで世話になります」
「羽鷲さまと申されやすか」よく陽に焼けた顔の目尻に深い皺が浮かんだ。やんちゃな子供を思わせる、不思議と魅力のある笑顔だった。「雨雀之森でしたら、風の具合からして、明朝の到着となりやしょう。それまでごゆるりとお過ごし下さいますよう」
「御丁寧に有難く」
「では、てまえは出航の準備がございやすんで、また後程」
 和真は、去っていく侠気を感じさせる背中を見送った。
 それからすぐに、甲板は慌ただしさを増した。水夫達が各自の持ち場につき、忙しく動き始めていた。
「帆を張れぇい」一際大きなしゃがれ声が甲板中に響き渡った。「錨をあげぇい」
 おう、と水夫達の威勢のよい掛け声があがり、一斉に綱を引き始める。
 青空の下で、白い帆布も目に眩しい。
 東からの風を受けて帆が膨らむと同時に、ぎぃっ、と大きく板が軋む音がして船が動き始めた。
 岸を離れた船は、風の恩恵を受けて快調に川を上っていく。櫂を操る男達の声も軽く、明るい。
 眺める景色からは次第に建物が減り、田園風景が広がって見えてきた。
 高く盛り上がった堤の向こうに、これから田に水をひこうと竜骨車《りゅうこつしゃ》を回す農民の姿や、籠を担いであぜ道を歩く女房たちの姿が見られた。鳥の鳴く声も空高く、長閑な光景に和真も目を細めた。
 昼時とあって、次の泊までの間、外居《ほかい》を担いだ商人が甲板で店開きを始めていた。乗客も代わる代わる寄って来ては、握り飯や餅などの食べ物を求めている。
「ほら、お嬢ちゃん。落とすんじゃないよ」
 商人は外居から取り出した笹餅を、母親に連れられた少女に手渡した。少女は小さな手でしっかりとそれを受け取り、母親が銭を払う様子を側で眺めている。
 和真も甲板に腰を下ろし、持っていた荷物の中から沙々女に手渡された破子籠《わりご》を開いた。中には、飯の他にも柔らかく煮た芋や筍、出し巻き、昆布など、臓腑に負担のないものばかりが詰められていた。山瀬が指示したか、と和真も苦笑しながら箸をつけた。
 すい、と陽が遮られた。
 権造が愛嬌のある笑みを浮かべ、小竹筒を目の前に差し出した。
「いや、今は酒は」
「冷えた水でやすよ」
「ああ、それでしたら。かたじけない」
 いや、と権造は答えて彼の横に腰を下ろすと、実に様になった仕草で煙管をふかし始めた。
「守護さまが乗ってるってだけで、てまえ共も安心して船を進める事ができやすんで有難いんでさぁ」
「あやかしが出るのですか」
 和真の問いに、船長《ふなおさ》は、へぇ、と頷く。
「ひととき多かった時期がございやした。最近は、そうでもなくなりやしたが、それよりも、守護さまがおられると風神様や水神様の機嫌が良いようで、船足も早く進みますんで」
「そういうものですか」
「ご加護のお余りを頂けるようでございやすよ。お陰で今日もいい風が吹いて、漕ぎ方の連中も楽をさせて頂いておりやす」
「私のせいばかりとは思えませんが」、と男の笑みをくすぐったく感じながら、和真は答える。「船に乗って長いのですか」
「かれこれ、四十年近くになりやす。頭を務めさせていただくようになって二十年程で。羽鷲さまは船旅は初めてで」
「いえ、幼少の頃、叔父が雨雀之森領の方にいたので、会いに一度。その時の事は、あまり覚えてはいませんが」
「さようでございやしたか。その叔父御も守護さまで」
「そうです」
「ひょっとして、娘御をおもちでらっしゃいやすか」
「いや、ずっと独り身で。それが、なにか」
 問い返すと、権造は、いえね、と照れ臭そうに笑みを洩らした。
「もう随分と昔の事でございやすが、西から都に向かう途中、羽鷲さまとお顔立ちがよく似た守護さまをお乗せした事がございやしたもんですから」
 和真の胸の奥が、急に騒めいた。
「女子を連れていたのですか?」
「ええ、丁度、あのくらいでやしたか」
 その視線の先に、先程、商人から笹餅を買った親子の姿があった。まだ七つ参りもすんでいなさそうな年の娘は笹餅を両手で持ち、大事そうに食べていた。
「大人しい、随分と可愛らしいお子でやした。ずっと、鞠を大事そうに抱えてやしてね。名前はなんて言いやしたっけねぇ、いけねぇ、ど忘れしちまった」
「それは、十二年程前の事ではないですか」
「さて、その位前になりやすかねぇ。てまえがこの船を任されてから、漸く様になってきたところでございやしたから。ああ、名前は、確か、ささめ、そう、沙々女でやした。守護さまはそう呼んでおりやしたよ」
 和真は、吐息を吐いた。
「だったら、それは叔父に違いない。沙々女は、叔父が引き取った娘です」
「ああ、そうでやしたか。やっぱり」権造は破顔した。「叔父御さまは元気でらっしゃいやすか?」
「いえ、残念ながら、九年前に他界しました」
「そうでしたか、それは御愁傷な事でやした」
 がっかりした風の権造に、和真は問掛けた。
「しかし、そんな昔の事をよく覚えていますね。乗せた客を全部、覚えているのですか」
「まさか。あの時は特別でやしたから。一生涯、忘れるものではありやせんよ」
「何かあったのですか」
 ええ、と陽に焼けた顔が、遠くの空を眺める位置で答えた。
「龍神さまにお会いしたんで」
「龍神? あやかしではなくて」
「えぇ、はっきりと見たわけじゃあございやせんが、あれは龍神さまに違いありやせん。お聞きになっておりやせんので」
「いや、初めて聞きました。宜しければ、お聞かせ願えますか」
 和真の頼みに、権造は躊躇う様子を見せてのち、その出来事を語り始めた。


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