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拾弐

 一晩を船で過した和真は、未だ白さが濃く残る早朝に雨雀之森領の泊に到着した。
 船を降りる前に権造に挨拶をしたところ、「やはり、いつもより早く到着した」、と言って笑った。
「もし、楽水《がくすい》の方へ行かれるんでやしたら、次の夕賀宿《せきかのしゅく》では、足をお止めにならない方が宜しいでやしょう。あそこは、どうも守護さまの事をよく思わない連中がいるとの話で。理由は知りやせんが」
「それは親切にどうも。ですが、行くのは陽山《ようざん》の方ですから、通る事もないでしょう」
 和真がそう答えると、権造は安心した様子で頷いた。
「それでは、道中お気をつけなすって」
「そちらも、無事の航行を」
 挨拶を交わし、和真は船を降りた。

 七丿隊本所がある陽山は、和真が船を降りた雨雀之森領の泊より、丑寅の方角へ七里ばかり支流を上ったところにある。
 ここでも和真は、一昼夜身体を動かさなかったこともあり、自身の足で行くことに決めた。
 都外を管轄する護戈五丿隊から七丿隊は、管轄地域が広いのと、時には大物のあやかしが現れる理由から、都内の隊に比べて規模も大きい。隊は百名を超える大所帯で、本所の他に幾つかの組と呼ばれる分隊に分かれて、守護にあたっている。
 南の管轄の八丿隊だけは、あやかしの出没する頻度が極端にすくなく、二丿隊の倍程度の人数で構成されている。臥龍神宮があるお陰でそうなのだろうという話だ。
 七丿隊は、本所と別に五つの分舎を抱える。都では隊ごとに昼夜交代の任にあたるが、ここでは、隊の中で昼夜の任務交代が行われている。
 本所には隊長である榊が構え、各組に於ても、隊長補佐という役職名でありながら、実質的には隊長格と言っても良い人材がほかの隊士たちを纏めている。かつての羽鷲義雅もそのひとりだった。
 余談になるが、護戈衆となった新米の隊士は、予め希望任地を申し出るのだが、隊士の数が限られる為に思い通りにならないのが実情だ。
 都外の隊では命を落とす隊士の数が、格段に多くなる。凶暴なあやかしの手にかかる者もいるが、それよりも、未開の地での自然災害などによる不慮の事故死がある。その為、優先的に隊士が回される事になる。結果、五から七丿隊は、長年経験を積んだ者から新米隊士まで幅広い年齢層で構成されている。
 一方、都内の隊は若者が多く、一隊につき、数年にひとりかふたり新米が入ってくる程度だ。それと入れ替わりに、中堅の隊士が都外に赴任するのが常となっていた。
 二丿隊でも、今年、旭日と入れ替わりに、数真のひとつ上の席にあった男が、国中央部を管轄とする五丿隊へと異動になった。
 都外と都内、どちらの任地が良いかは一概には言えない。
 現在、八名の護戈隊長の中で、都内だけを任地としてきた者は、三丿隊の白木、ただひとりだけだ。これはとても珍しい事で、大抵、都外の任地を経験した者が隊長に任命される。それだけ、都外では多くの経験を積む事ができ、実戦の為の知恵を得られると言えるだろう。

 陽山へ向かう前に和真は、まず、泊ちかくの飯屋で朝餉をすませる事にした。
 まだ朝も早いというのに、定期船が着いたばかりのせいだろう。泊から続く目抜き通りでは呼び込みこそないにしろ、開いている店も多い。
 同じ目的なのだろう他の者たちに混じって適当な一軒に入ろうとする和真の耳に、ふ、と「修羅」という呟き声が聞えた気がした。
 護戈には厭わしい言葉に、思わず誰が口にしたものかと周辺を見回すが、素知らぬ顔をした者ばかりで見当もつかない。
 空耳か聞き違いだったか、と思いながら、そう気にすることもなく和真は店の暖簾を潜った。
「いらっしゃい」
「飯をくれ。あと味噌汁と漬物となにか適当に見繕って」
「あいよ」
 丸々とした肉付きのよい中年の女がちゃきちゃきと立ち働くのを見て、和真は席のひとつに腰を下ろした。
 店には和真の他にも数人の客がいた。商人らしき大きな荷を持った男に、人足らしい逞しい体つきの男たち。あと、どこか異様な風体の男が数人固まって話しているが、何を喋っているのか言葉が分からなかった。
「守護さまは都から来なすったのかい」
 飯を運んできた女が訊ねてきた。
「そうだが」
 答えると、「ああ、やっぱりねぇ」、と女は苦笑した。
「ここいらじゃ、そんなきちんとした恰好《なり》のもんはみかけないからねぇ」
「そうなのか」
「田舎だからね。かえって目立っちまったりもするだろうしさ。それに直ぐにどっかに引掛けて、汚しちまったり破いたりしちまうんだろうさ」そう言ってけらけらと笑う。「来たばっかりは垢抜けてても、ひとつきもいりゃあ、そこらの流民と変わらなくなっちまうもんさね」
「そういうものか。だが、残念だが、数日で戻る予定だよ」
「へえ、そりゃあ残念だね。兄さんみたいな男前が増えりゃあ、娘っこたちも喜ぶだろうにねえ。なんせここいらは季節働き目当ての小汚い連中ばかりが集まってくるから。これから秋の季節までは特にさ」そう言いながら、固まって喋り続けている男達に視線をやった。「樹の伐りだしやらでさ。あそこにいるのとか、流民なんかもたくさん集まってくるよ」
「へぇ」
「まあ、中にはいついちまうのもいるけれど、大抵は季節が過ぎれば、またどっかに流れて行っちまうさ。遊女なんざぁそれもいいだろうけれど、中にゃあごろつきみたいな連中もいるから、困るっちゃあ困るよねぇ」
「ふうん」お喋り好きらしい女の話に相槌を打ちながら和真は、ふ、と思い付く。「だったら、坊さんなんかも来るんじゃないのか。布教だかで」
「ああ、そんなんもいるねぇ。でも、生臭っていうのかい、胡散臭いのも多いけれどさ。中にゃあ、いっとき流行るってったら変だけれど、わっとなるのもいるけどねぇ。なんでもお祈りすりゃあ願いが叶うとかさ。あたしゃそういうものは金輪際、信じない方だから、本当かどうか知らないけれど」
「御明かし文を渡したりして」
「そうそう、そんなんもいたよ。噂に聞いただけだけれどね。そういや、いつの間にか、それもどっか行っちゃったねぇ」
「それはいつごろの話だ」
 素知らぬ振りをしての問い掛けに、女は、さあねぇ、と首を傾げた。
「随分と前だよ。二年か三年か。ねえ、あんた」と、女は仕切りの向こうにいる男に大声で呼びかけた。「前に噂になっただろ、なんでも願い事が叶うとか言う坊主だかまじない師。あれっていつごろだっけ」
 はあ、と亭主らしき男は包丁を持ったまま訝しげにしてから、ああ、と頷いた。
「四年前じゃねぇか」
「そんなになるかね」
「あれだろ、狐の使いが仏さんに願い事を届けてくれるってやつだろう。確か、お富んとこのよし坊が生まれる時に無事に生まれますようにって、秀さんがわざわざ頼みに行ったんじゃなかったか」
「ああ、そうだった、そうだった! よし坊も四つだしねぇ。もう、そんなになるかねぇ」
「けれど、そのすぐ後でそこの寺が火事になって、坊主共はみな焼け往《い》んだって聞いたけれどな」
「そういやそうだったねぇ。狐なんか使うから祟りにあったんだろうって、皆で言ってたっけ」
「……死んだ?」
 夫婦の話に和真が驚くと、女はどこか心許なさそうに頷いた。
「ああ、大方、狐火かなんかに焼かれたんじゃないかって話でさ。一晩で何もかも焼けて、あとには灰しか残らなかったって話だよ」
「生き残った者はいなかったのか」
「さあねぇ、いなかったんじゃないのかねぇ。生きてたら、そう言うだろうさ。はい、いらっしゃい」
 そこまで言って、女は新しく入って来た客の方に行ってしまう。
 ――どういう事だ?
 狐を使役する僧がいるらしいという話は、和真も稲田から聞いていた。そして、最も疑わしき海風寺の僧と同じく西から来たという話だ。この両者が同一の者であるのか、また違う者であるのか、確たる証を見出すことが、この地まで来た真の目的と言えるだろう。しかし、今の話では、狐を使役していた僧はとうに死したと言う。では、都にいるという狐を使うという僧は何者だろう。
 早くそれを確かめなければならない。あのような死に方をしなければならなかった菊の為にも。
 和真は目の前の飯を味わう間もなく口の中に掻き込むと、代金を置いて急ぎ七丿隊本所を目指した。


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