kumo


拾参

 連なる山脈を横に眺めつつ和真は、一路、目的地を目指し、更に北に向かって杉木立の間に伸びる旧街道を駆け進んだ。
 雨雀之森領と呼ばれる西のこの一帯の地区は、金瓜山脈から連なる山々が深い森を作っている。地名にある雨雀というのは鳥の一種で、雀とそう変わらぬ大きさの小さな鳥ではあるのだが、群れをなして森に暮らし、その群れの下を通ると、その羽ばたきの音がまるで雨が降ってきたかと錯覚するかの如く聞えるとも、また、雨が近付くとけたたましく鳴き声をあげるので、その名がついたとも言われる。しかし、七里にわたる道中、和真がそれらしき音を聞くことはなかった。

 急いだ事もあり、飯屋を出てから一刻も経たずして、和真は七丿隊本所の前に立っていた。
 荒くなった息が整うまでの時間、和真は、暫し周囲を見回すだけの余裕を思い出した。
 迫る山の稜線は鋭く、山頂はまだ雪に覆われている。樹木はまだ枝ばかりが目立ち、苔むした曲がった幹に荘厳ささえ感じる。耳を澄ませば、雪解け水の流れる硬く勢いのある音が響いていた。
 改めて眺める七丿隊外観に、都のものより傾斜角度のきつい屋根を認めて初めて、和真は、そうだった、と幼少の頃の記憶と重ねた。都とは違う重厚な門扉をもつ詰所の外観も、なんとはなしに見覚えがあった。扉に飾られている隊紋である雪輪が印象に残っている。
 やっと、息がおさまったところで、開かれていた門を潜った。二間はあろうかという広さの玄関で、和真は声を大きくした。
「護戈二丿隊より使いで参りました。榊隊長にお目通りを願いたい」
 すると、すぐに、旭日と変わらない年頃の若い隊士が出てきた。独特の気配は、元々、この国の者ではないようだ。金色の肌の小さな顔の上に並んだ大きな瞳が推し量るように和真を見た。
「二丿隊より参りました羽鷲と申します。榊隊長にお取次ぎ願いたい」
「それは遠いところをご苦労様です。暫し、こちらでお待ちを」
 玄関と言うよりは土間に近いそこでそう待つこともなく、戻ってきた隊士に奥へと案内された。長い廊下を進んで隊士が待機する間も通り過ぎて、突き当たりの厚みのある木戸の前に立った。
「失礼します」
 開いた戸の向こうに、板敷きの広い一室があった。その一番奥の窓際に置かれた大きな机の前に白羽織姿を見る。
「お連れしました」
「ありがとう。下がっていいですよ」
 声も柔らかく榊は言うと、和真の顔を見て目尻の皴を濃くした。
「羽鷲和真です。以前、叔父が榊隊長の下でお世話になっていました」
「ええ、勿論、覚えていますとも。さ、こちらにどうぞ」
「失礼します」
 和真は進められるままに、榊の正面に置かれた椅子に腰掛けた。こういう形では初めて接見するだろう隊長は、思っていたより小柄に感じた。ひっつめに纏めた髪には白いものがところどころに混じり、顔には、年輪を示す皴が刻まれている。初老にさしかかった容貌は若き頃を思っても、同じ女性の隊長である水無瀬のような冴えた印象はないが、落ち着いた穏やかな印象を受ける。
 榊は、特別、力が強いわけではなく、剣の腕前は隊長格らしくそこそこあろうが、突出したものではないと聞く。それでも最古参の隊長である彼女が長くこの地位に留まるは、一重にその人柄にあると言われている。人材を育てるに長けており、事実、義雅や稲田、また、六丿隊を率いる天津も一時はこの七丿隊に籍を置いていたと言う。しかし、目の前の人物はそれを驕る風もなく、雪輪を背負うにしては春の陽射しを思わせるほがらかな微笑みを和真に向けた。
「稲田くんは元気にしていて」
「はい。榊隊長によろしくとの事です」
「そう。一年に二度、会合の時に会うくらいですものねぇ」
 榊はそう答えると、しげしげと和真の顔を見つめた。
「叔父上の事は、私にとっても、大変、残念な事でした。けれど、あなたがこんなに立派になられたんですもの。あの世でさぞかし喜んでらっしゃるでしょうね」
「いえ、そうでもないかもしれません。先日も、四丿隊隊長にひよっこと、散々、罵られたところです」
「四丿隊と言うと峰唐山くんね。彼も口が悪いところがあるから」
 そう言って、榊はころころと楽しげに笑った。
 あの峰唐山をくん付呼ばわりするところが、やはり、最古参ならではなのだろう。彼女にとっては息子のような年齢なのだから仕方がないのかもしれないが、和真は苦笑した。
「それで、わざわざ貴方が使いに来た用向きとは何かしら。よほど重要なことのようね」
「はい。書状を預かっております」
 和真は、荷の中から文挟みを取り出して榊に手渡した。
 早速、榊は書状を開くと、その場で黙読した。読み進めるにしたがって、その表情は深刻味を帯びていった。
「この内容を、あなたは知っていて」
「大方は。質問があれば答えるようにと言われています」
「そう。これには、昨年までに大聖歓喜天という仏を祀る僧侶、そして、狐を操る僧侶がこちらの領内にいなかったか、という事と、全身に傷を負った娘の遺体が見付かった事件はなかったか、というふたつの問い合わせがあるのだけれど、とても護戈に関係ありそうな内容ではないわね。縁ある娘の一件と関係があると思われると書かれているけれど、どういう事なのかしら」
 和真は頷き、菊の事件をかいつまんで説明した。
 榊は、まあ、と声をあげ、考える表情を浮かべた。
「そう。それは放ってはおけないわね。残念ながら、私にはそういった記憶はありませんが、すぐに他の組にも問い合わせてみましょう。隊士の中には知る者もいるかもしれないわ」
「お願いします。あと、これはこちらに来る途中、耳にした話なのですが、」、と和真は飯屋で聞いた一件も報告した。
「或いは、この寺の生き残りがいたとも考えられます。もし、そういう話があるのならば、合わせてお調べ願いたいのですが」
「そうね。それだけ具体的な話であれば、誰か知る者もいるかもしれないわ。合わせて調べてみましょう」
 そう答えて榊は、すぐ脇に天井から垂れ下がる太い組み紐を引いた。そう待つ事なく、羽鷲を案内してきた若い隊士が、再び顔を出した。
「笹霧《さぎり》くんはいるかしら」
「笹霧さんは出ています。八束《やつか》さんならいらっしゃいますが」
「いいわ、すぐ来るように呼んで頂戴。あと、貝塚くんはいるかしら。今日はお休みの筈だけれど」
「副隊長は寮の方かと思います」
「そう。なら、その後でいいから、彼にも来るように伝えて頂戴。会わせたい人がいるからと」
「分かりました」
 若い隊士が下がってから程なくして、和真よりは年上だろう隊士が入ってきた。


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