kumo


拾捌

 太吉を抱えた部下を見送って稲田は、改めて白木に頭を下げた。
「お陰で助かった。彼は本当に運がいい」
「なんの。当然の事をしたまで」
「襲った者の顔は見た?」
「逃げ足が早く、はっきりとは。しかし、大柄な男でしたよ」
「そうか」
「件の事に関係でも」
「その話は部屋で。その為に来てくれたんでしょう」
「まあ、そうですね」
 鋭く目を光らせる学者顔を横目に、稲田は漸く我に返った加世に酒の支度を言い付けると、白木を伴って自室へと向かった。
「黒羽くんは良いですね」部屋に落ち着いて、白木はまずそう言った。「判断の早さ、身のこなしといい、うちの鈴耶にも見習わせたいものです。容姿は無理にしても」
 褒め言葉に、稲田は複雑に微笑んだ。
「彼には世話になりっぱなしだよ。隊長が頼りないと、逆に部下はしっかりするらしい。ただ、あいつは人より少し繊細過ぎるところがあってね。その辺は経験を積ませないと」
「しかし、あの年ゆきでは上出来でしょう」
「だろうね。俺があの年の頃は、もっとどうしようもなかったから。しかし、やはり凄いのは、一丿隊の沢木くんでしょう。非の打ち所がないってのは彼の事だね。あの落ち着き振りといい、ここへ来ての采配も見事だったよ」
「ああ、確かに。あれだけの優秀な部下をもつ水無瀬が羨ましいですよ」
「まあ、出来すぎって感じもしないでもないけれどね」
「部下は出来ないよりは、出来た方が良いでしょう。そう言えば、彼の御両親は、本当の親ではないそうですよ」
「そうなんだ。養子かなにか」
「でしょうね。経緯は知りませんが、あの薄い瞳の色は、おそらく南方の出ではないかと。なにか事情あっての事でしょうが、養子に迎えて護戈になられては、養父母も気の毒と言えばそうでしょう」
「南って、南谿辺り?」
「ええ。臥龍湖近くでは、時折、見かけるとか」
「そうなんだ。あっちの方は俺もよく知らないからなぁ。羽織とあいつで世話になっている程度で」、と稲田は床の間に置かれた刀掛けに視線をやる。
「皆、そうですよ。特に、臥龍大門の向こうを知る者などないに等しい」白木は皮肉めいた薄笑いを浮かべた。「龍神を守ると言いつつ、神官どもは内で何をしているやら。あげて秘事としながら、八老師でさえその前には伏すというのですから、胡散臭いことこの上ない」
「でも、彼等がいなければ、あやかしを退治出来ないでしょう。俺達の刀はあそこを通ってくるわけだから。お祓いだか浄めだか受けて。それと言霊があってこそ、奴等とまともに相対することが出来るっていうんだから困ったもんだよ」
 稲田の言葉に、それなんですよねぇ、と白木も溜息を吐いた。
「だから、新しい武器の意匠を考えても、時がかかって仕方がない」
 三丿隊隊長らしいぼやきに、稲田は軽い笑い声をたてた。

 折りよくはつが運んできた酒肴を前に、稲田と白木は共に盃を傾けた。
 白木は、務めの時間だから、と一度は遠慮をみせたが、稲田の勧めに応えて、一旦、口をつけてしまえば、木の芽あえや蜊の酒蒸しを前にして酒の進みに滞りがなかった。
 ほどほどに舌の滑りも良くなったところで、白木から本題を切りだした。
「ところで、頂いた文では、常葉屋に絡んででなにか分かったという内容でしたが」
「うん。まあ、分かったとは違うけれど、妙な一致を見付けてね」稲田は盃を空にして、言葉を継いだ。「先ほど、君が助けてくれた引手が教えてくれたんだが、下手人とされるおはるは、俺たちの方で見付けた登紀の常磐津の師匠だったそうだ」
「ほう」
「その上で調べたところ、他の死んだ娘たちも皆、北にある海風寺の境内で占いをする婆さんに見て貰ったことがあるようだ」
「おはるもそこに」
「いや、それは分からない。だが、可能性はある。登紀はもともと占いや八卦に見てもらうのが好きだったそうだ。手習いをする他の娘たちから婆さんの噂を聞いて行ったとしても、不思議はないだろうね」
「ふむ。しかし、それだけで関係あるとは断じられるものではないでしょう」
 白木の言葉に、稲田も頷いた。
「だから、もう少し探ってみたんだ。実は馴染みの芸妓からおはるの話を聞いた事があってね。芸妓の間ではかなり有名人だったらしいよ。流しでも芸妓になるでもなく、常磐津一本で身を立てて、弾けば神懸かったような見事さだったそうだ。実際、その気があったらしい」
「それは一度、聴いてみたかったですね。で、それが何の関係があると」
「つまり、依巫《よりまし》の素質があったとみていいのではないか、ってことだ」
「依巫……つまり、憑依されやすい、と」白木は、そこで考える表情をみせた。「いや、しかし、おしなべて、はるがそうとは考えにくいですね。俗世にまみれた囲い者であった女がそうである事は稀でしょう」
「そう。しかし、それとは別に不思議なのは、そのおはるが常葉屋とどこで知合って、懇ろになったかって事だ」
「それは、それ。男女の事ですから。どこぞの座敷で会いでもしたのではないですか」
「ところが、誰に聞いても、はるがそんな女には見えなかった、と口を揃えて言ったそうだ。事件があって初めて、そうだと知った者ばかりだったそうだよ。かと言って、おはるの周りには他の男の影はない。そこで、戸籍を調べてみた」
「おはるのですか」
「うん、案外、簡単に分かったよ。おはるは、常葉屋の主人が昔、手を付けた女に産ませた娘だったんだ。それを密かに援助していた」
 白木は盃を持ったまま、唖然と稲田を見た。
「あなたときたら、よくまぁ……」軽い笑い声が、口から漏れ出た。「如何に人の噂があてにならないか、という事ですか。私も今の今迄、騙されていましたよ」
「話はまだ続くよ」稲田は笑う事なく言った。「ひとり目の茜は分からないが、ふたり目の登紀は、こどもの頃には、あやかしを一度ならず見ていたようだ。三人目のお菊ちゃんもそうだったと証言が取れている」
「死んだ娘たち、すべてが依巫の素質を少なからず持っていたと」
「多分。それを選んでいたのが占いの婆さんだったと考えれば、辻褄が合う」
 向かい合う顔同士、笑みはなかった。
 白木が口の中で唸った。
「では、先ほどの話、何故、内ふたりの娘は、狐憑きにならずに殺されたのか、疑問が残りますが」
「うん。これは俺の推論でしかないけれど、男の手がついていたかいなかったか、の違いだと思う。茜は奉公先の宿で客を取っていたそうだし、登紀は手代と逢引しているところを乳母が見ている」
「しかし、菊という娘は別にして、おはるがそうであったとはどうも私には……特に醜いわけでない、三十路近い女が独り身で何もないというのは、いささか、」
「それだけ芸に打込んでいたという事じゃないのか。たまに隊士にもいるだろう。剣に打込みすぎて、女の肌を知らないという奴が。そういう類の者には、男も女も関係ないのさ」
「まあ、確かに」、と白木は釈然としない様子ながらに頷いた。
「つまり、殺されて見付かったふたりは清い身でなかったが故に、妖狐が降りる器とはなりえなかったと」
「うん。そして、残りのふたり。刃傷沙汰を起こしたふたりは、無理矢理、器とされたのかもしれない。俺はその可能性が高いと見ている。娘たちに陵辱されたらしい痕があったという話からもそう考えられる」
 稲田はそこまで言うと、一息つけるように盃に手を伸ばした。白木は険しい表情を浮かべ、それを眺め言った。
「依巫としての巫女の原形というやつですか。降ろしたところで行為を持ち、支配下に置くという。所謂モノへの蹂躙とも言えますが、絵空事に近い話しで実践する者がいるとは思いもしませんでした。広く流布しているのは、遊女の始まりともされる信者を集める為、ですし」
 白木は怒ると言うより呆れた様子で首を横に振った。
「そういう話の前だと、たまに男でいるのが嫌になるよ」稲田も声を渋くして答えた。「でも、現実には不可能と思われていたことが実際に行われていたとしたら、強ち的外れな考えではないと思うんだ」
 ふむ、と白木はひとつ頷くと、
「では、仮にそうだったとして、下手人の目的はなんでしょうね。娘を勾引かし、狐を憑かせて凶行を行う。やりようは非道だが、そこに目的が見えない。金が欲しいわけでもなく、憎い相手を殺すにしては、二丿隊の一件は腑に落ちない。悪戯にするには、度を越している」
「それなんだよなぁ。そこがどうしても分からない」稲田もほとほと困った様子で頭を掻いた。「それで、博識で知られる先生に、二、三知恵をお借り出来ないかとご足労願ったわけなんだけれど」
 やれやれ、と向かう顔の強張りが緩み、溜息が洩れた。
「あなたに先生呼ばわりされる謂れはないが、期待に副えられますかどうか」
「また、ご謙遜を」稲田の表情にも柔らかさが戻る。「最近、巷で流行っている『仏』というものについて、簡単で良いから教えて頂きたくてね」
「仏についてですか。さて、私も明るいというわけでもないが……どのような事を知りたいのですか」
 白木の盃に酒を注いだ稲田は、ぽん、と自らの膝を叩いた。
「たとえばさ。何者であろうとどんな願い事も叶える仏さんってなに?」


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