kumo


廿

 白木相手に、稲田は幾度となく口の中で呻いていた。
「分からないなぁ」酒気混じりの長い息が吐かれた。「どう考えても、さっぱり分からない。願い事があれば、なんらかの祭礼だかして仏に願えばいいだけだろう? わざわざ娘を攫ってきて狐憑きにする理由が分からない」
「そうですね」
「目的も分からないし。何がしたいんだか、さっぱりだよ」
 酔うには足らない酒量であっても、つい、ぼやきも出る。
「逆になんでも叶うと言いながら、限りがあるのかもしれませんね」白木の言葉に、稲田は顔をあげた。「晴天に恵まれるようにとか、銭が欲しいといった漠然としたものではなくて、より詳しい内容が求められるのかもしれません。例えば、銭を欲するにしても、今度の取引相手との交渉事が上手くいくように、とか、出世をしたいがどこそこの地位が良い、などです。そこには他者が関りますから、願う本人の思惑だけでは如何ともしがたい。そこを上手くするわけです」
「ああ、そうか」稲田も納得の頷きを返した。「地位や金も、急に目の前に現れるものじゃない。巡りものだ。あるところから持ってこなきゃならない。他人のものを奪うとなれば、恨まれる事だってあるかもしれないしねぇ。別の言い方をすれば、人に作用する面があるっていうのか、強いのか」
「象にしろ狐にしろ、地にあるもの。天候をどうにかするよりも、そう考えた方が自然でしょう。相手も何故か分からない内に願う者に差し出しているという風であれば、やはり、憑き物らしくはある」
「ああ、そうだねぇ」
「言うなれば、自助行為が前提にあってのものかもしれません」
「それにしたって、長い時間をかけて修法を会得したり儀式を行ったりするわけでしょう。大聖歓喜天って仏にしたって、かなり面倒そうじゃない。それこそ周囲から穢れとなるものを取り除いたり、金かけて像から作ったり、一生かけた断ち物したり。それだけでも、並み大抵で出来ることじゃないよ。結局はどこかで努力は必要って話しになるから、妙と言えば妙だよね」
「それでも、と思うのでしょう。人ひとり出来ることには限りがありますよ。真当な努力をするだけではどうにもならない事もあります。諦められるのであれば良いのですが、人によっては諦めきれない事もあるでしょう。恋しい相手に振り向いて欲しいなどという話しはありがちでしょう」
「そうだねぇ」
「犠牲になった娘たちも、とどの詰まり、そういうことだったのかもしれません。縁を結び変えたいが為になんとかしたいと思っていた。そこを付込まれたのかもしれませんね」
 ああ、と呟きながら稲田は目を伏せた。
「可哀想になぁ……俺みたいな者は、そうも執着するものもないからすぐに諦めてしまうんだけれど、そうでない者もいるんだろうな」
「若い娘は思い詰めやすいですから。そうでなくとも、己の思い通りにならないことが許せない、と思う者もいるのでしょう」
「まあねぇ。でも、さっき聞いた話で死にかけていた病人を治したって話。あれは当て嵌まらないよね。魂をどこからか持ってくるってわけにもいかないだろうし」
 稲田の疑問に、ああ、と思い付いた調子の声がある。
「それで思い出しました。仏教の説のひとつに三魂七魄《さんこんななはく》というものがありますよ。人には十種の魂が宿っているとか」
「なにそれ。ひとつじゃないの?」
 口をへの字に曲げた稲田の顔を前に、白木は面白そうな表情を浮かべた。
「人が死んだ後、三魂は六道に転生して、七魄は現世に留まって自分の亡骸を守る鬼神となるそうですよ。それから言えば、魂がひとつ消えたところで、残っている分で補うなんて事もできるんじゃないですかね」
「わけが分からないな」稲田は頭を掻いた。「ええ、人が死んだ後も、その人の七つの魂がこの世に居残り続けるってことかい」
「魄は陰の精気を表しますから、意外とあやかしなどというものもそれが形を成したものかもしれないと、初めてそれを聞いた時に思ったものです」
「ああ、なるほどなぁ。死霊なんてのは、如何にもそれらしいよね。恨み辛みばかりで、」
 ふ、と止った稲田の口調に、白木も動かしていた箸を止めた。
「どうかしましたか」
 その問いに、いや、とひとつ首を横に振りながら、ええ、と迷う声も出る。暫くひとりで百面相をしていた稲田だが、煮え切らない様子を見せたまま口を開いた。
「今、凄く嫌な考えを思い付いてしまったんだけれどね」
「なんですか」
「例えばさ、憑き物なんてのは、その十種の魂魄を丸ごと乗取ると同じ意味とすれば、死人の魂魄でも同じことが出来るんじゃないのか」
「つまり?」
「つまり、なんらかの方法により、亡骸が一体あれば、十のあやかし――鬼を操れる」
 白木の眉間に深い皴が刻まれた。
「……考えられなくもないですね」箸を置き、稲田に向き直る。「もし、それが出来るとなれば、徒事ではすまなくなる」
「十の亡骸があれば百のあやかし。或いはそれ以上か。犬神人が言っていたっていう横取りの件にしたって、常葉屋の件にしたってその為の代《しろ》とする為のものであれば、とんでもない数を相手にしなけりゃいけないことになる」
「そこまでは」、と戸を閉めるように白木は言った。
「推論に過ぎぬことを話すのは無駄でしょう。言霊が働いても困ります。それより、問題は下手人の正体です。象か狐かは定かではありませんが、あなたが目星をつけたという僧侶たちの身元は調べたのですか」
「ああ、真っ先に調べたよ。元は社であった所を貸すに当っての記録は残っているんだが、坊さんたちについては何も出てこなかった。戸籍にも名前が載っていたんだけれど、以前はどこにいたとかそういう記録はいっさい残っていない。これまでは、ひとところに留まっていなかったからだろうってのが担当役人の説明なんだけれどね」
 吐息を洩らしながらながら、稲田は答えた。
「実に役所仕事らしいですね」
「ひとりひとり裏付ける手間をかけられないってのは分かるんだけれどねぇ。ただ、先ほどの説明からして、黒羽の話と合わせると、大聖歓喜天って仏を祀っているのは間違いないみたいだね。となると、狐を使うってのとはまた別なのか、その辺が分からない」
「占者の方は」
「こっちも駄目。資料は舵槻衆がすべて押さえていて、閲覧不可。名前が戉《えつ》ってことだけしか分かりゃしない」
「八方塞がりというわけですか」
 どこか呆れた様子で白木も嘆息し、稲田は、いや、と声も渋く答えた。
「でも、今日、太吉くんが襲われたことから言っても、口封じされたとも考えられるね」
「占者に手が伸びてきた事を知り、消したと」
「その可能性が出てきた。自害しただけにしては舵槻衆が隠すのも気になるし、調べに行かせてすぐの事だしね。どこかで見ていたか、見張られていたか。なんらかの関りがあると考えるのが自然だよ」
 眉をひそめる稲田に、成程、と答えがある。
「しかし、そうなってくると、やはり、西ですか」
「うん、こうなってくると、羽鷲に期待するしかないなぁ。何か拾って来れるといいんだけれど」
 だが、それすらも望みが薄い事を稲田は承知している。行脚する僧の内のひとつの足取りなど、そうそう捕えられるものではない。
 またもや沈みかける話の前に、白木は言った。
「そう言えば、水無瀬の方もかなり入れ込んで調べているとか。最近は犬神人まで使っているみたいじゃないですか」
「ああ、俺から調べてくれるよう頼んだ件あってだろうけれど、水無瀬の事だから、都合よく自分の下に加えたかもね。ああ、あっちからも何かあるかな」
「やれやれ、女隊長殿は、どんどん怖いお方になられていくようだ」
「女は怖いよ。俺なんか、全然、頭あがんないもん」
「とは言え、いなくては困る。あやかし以上に厄介ですね」
 男ふたり、苦笑の声が洩れる。しかし、それもすぐに引き潮の如く引いてしまう。
「でも、水無瀬じゃないが、笹舟の件も気になるね。この話は知ってる?」
 稲田の言葉に首肯が応えた。
「それは、前に水無瀬から。しかし、それから見付かっていないようですが」
「こっちの件と関りある証も見付かっていないしね。しかし、話を蒸し返すようで悪いけれど、先ほどの魂魄を操る話。もし、同じ下手人の仕業とすれば、あれが笹舟と繋がるかもしれない」
 白木は口の中でひとつ唸ってから、ともあれ、と言う。
「この事は、水無瀬と峰唐山にも伝えた方がよいでしょう。下手人が何者であれ、あなたも気を付けた方がいい。ここが見張られていないとも限りませんから」
「ああ、そうだな」
 そう頷いた稲田に、気の緩みはなかった。
 ただ、護戈といえど、闇の深さを測る術を知るべくもなかった。
 そして、ここにもひとり。
 僧侶を帰してのち、詰所で考え込む水無瀬の瞳は吐き出す紫煙に霞むことなく、脇に置く白刃よりも鋭さをみせていた。


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