kumo


廿弐

 件の男の居場所はすぐに分かった。
 寮の屋根の上、降り落ちそうな満天の夜空の下、ひとり盃もなく徳利を抱えていた。
「皆と呑まないのですか」
「ああ。年寄りが混じっちゃあ、気兼ねもあるだろうからな」
 音も立てず上ってきた和真に驚いた様子もなく、貝塚は答えた。
「そんな事もないでしょう」
 そう言うと、まあ、と大隊の副隊長を務める男は口の端に笑みを浮かべた。
「こっちへ来いよ。すこし相手をしろ」
 呼ばれて和真も隣へ腰を下ろした。手渡された酒徳利に直に口をつける。
「昔は邪魔をする方だったんだがな」
 和真を見ながら、懐かしそうに貝塚は言った。
「邪魔をするって、叔父の、ですか」
「そう。羽鷲さんは普段から皆と騒ぐという性質でもなかったから、たまにこんな風に屋根の上でひとりいる所を見付けて、稲田とな」
「へえ」
「よく、ここにいると分かったな」
「まあ、半日、一緒に行動しましたから」
「気配を読んだか」
「はい」
 かーっ、と吐き捨てるようにして貝塚は笑った。
「血は争えないっていうけれど、太刀筋だけじゃなくこっちを読むのも羽鷲さんそっくりだ」
「そうですか」
「そうそう。こう見えても、気配を隠すのには、結構、自信あるんだよ。現にうちの連中に、ここにいるのは見付かったことがない」
「へえ。まあ、俺はそういうのに慣れていますから、そういう事もあるんでしょう」
 沙々女の気配を捜すに比べれば、貝塚の気配を見付けるのは造作もなかった。
「今日のでも上手く隠れたつもりだったんだが、反撃もそうも的外れじゃなかったからなぁ。何度か、ひやりともした。元々、そういう素質もあるだろうし」
「さあ、どうでしょうか」
「あっただろう。だから、こどもの頃、おふくろさんもそれを相談しにわざわざ連れてきたんだろう」
「え、そうなんですか」
 自身の初耳の事柄に和真は驚いた。貝塚は、知らなかったのか、と笑った。
「どこそこの誰がどこへ行っただの、誰それが誰かとこっそり会っていただのと、見もせずに誰も知らないことを喋ったという話だぞ。こどもの事だから考えることもなく思い付くまま喋っていたんだろうが、おふくろさんは、『ひょっとして、あやかしに取り憑かれているんじゃないか』と大層、心配して羽鷲さんに相談しに来たんだそうだ。素養のある者には往々にしてある事だが、おふくろさんの周囲にはそういった者はいなかったそうだし、不安だったのだろう」
「ああ、そうだったんですか。何故、ひとりだけ連れて来られたか疑問に思っていましたが。当時は、遊びに連れて来れただけのつもりでしたし」
「こどもには分からんだろうな」
「そうですね」というより、和真本人には意外な話だった。「じゃあ、その時に、稲田隊長にも会ってたんでしょうか。覚えていないんですが」
「ああ、会っていた筈だぞ。同じ組にいたからな」
 その答えに、和真は今更ながらに気まずい思いを抱いた。
「隊長も人が悪い。そんな事、ひとことも言わないんですから」
「まあ、あいつもどう言っていいのか分からんのだろう。幼い頃に素養が出たとしても途中で消えることもあるし、護戈になるとは限らんからな。それに、今ごろ言われた方も困るだろう」
 くつくつと貝塚は口の中で笑った。
「まあ、そうですが」、と和真は照れ臭くも頬を指先で掻いた。
「でも、その頃の話をひとつ訊いても良いですか。さっき聞いた話なんですが」
「なんだ、改まって」
「夕賀宿で顔役の男が殺められたという話なんですが」
 途端、貝塚の表情が渋くなった。
「また、古い話を。人の口の戸というのは、いつまでも閉じないものだな」溜息混じりに言う。「それがどうした」
 和真は貝塚の様子を伺いながら、切出した。
「三組の持ち場という事ですが、叔父がいたのも三組でしたよね。貝塚さんもそこに?」
「ああ、そうだ。だが、その頃には羽鷲さんも稲田も異動になっていたが」
「ええ。ですが、その数年前、その男が囲っていたという女があやかしに殺められた時には、まだ七丿隊でしたよね」
 確証はなかったが、敢えて断ずる。
「何が言いたい」
 警戒するに似た低い声が答えた。
「その娘の名は、沙々女というのではないですか」
 驚きの表情が、ゆっくりと和真に向けられた。
「どこでその名を」
 やはり、と和真の心のうちで言う。
「沙々女は、今、二丿隊にいます。隊士の世話係として」
 貝塚の絶句した表情が凍りついて見えた。
「なぜ、あの娘が二丿隊にいるんだ」
「何故……隊長が就任する時に呼んだんです。世話をする手が足りないからと」
「呼んだ? どこから? わざわざあの娘を捜し出したのか!」
 周囲の空気を切り裂くような鋭い声だった。和真は思わず息を呑んだ。


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