kumo


廿四

 七丿隊に来て二日目の朝。
 昨晩の酒が僅かに残ったか、少々、頭が重く感じた。だからと言ってだらけてもいられず、和真は食事の後、榊の指示に従って、午前中は昼番の者たちと共に巡回の任に加わった。
 七丿隊本所の巡回地域は、やはり、都とは違い、西の中心となる陽山の街を重点とした上で、周囲に点在する集落をも含む広範囲に渡るものだ。したがって隊士たちは幾つかの班に分かれて、途中から各地域を手分けして巡ることになる。
 その移動途中は、森や湿地帯を抜けることになるが、そこにも杣人《そまびと》などが季節ごとの居を構えていたりもするので、気を抜くことは出来ない。
 樹の枝、水の上、地面と、質感の違う不安定な足場を次々と移動していくことは細かい力の制御も必要で、慣れない者にはそれだけで厳しい。昨日の貝塚の、歓迎の儀式という名の特訓がなければ、和真も危うく遅れを取るところであったかもしれない。
 それでも、春まだ浅い早朝の森の空気は澄んでいて、 ひと息吸い込むだけで清々しい気分になれた。鼻の奥が、つん、とする感じに次第に残る重苦しさが剥れて、爽快な感じさえ受ける。
 途中、同行する八束が森の片隅に張られていた鳴子を直すと言うので、それの手伝いをした。
 鳴子は鳥追いのそれに似ているが、あやかしにだけ反応するように作られているのだと言う。他にも罠に似た仕掛けがあちこちに仕込まれているそうだ。
「まるで猟だ」
 和真が言えば、そうだな、と八束も答える。
「限られた人数で広い範囲を補うには工夫も必要だ。あやかしにしても目的が違うだけで、生きているものと動きにそう変わりがあるわけではない。先んじて動きを読み、備えるところでは何も変わるところではない。被る害を最小限におさえる為にも」
「なるほど」
 八束は手早く切れかけていた綱の修繕を終えると、その前で拍手《かしわで》をひとつ打った。
響きが周囲の空気を広く波立たせ、耳鳴りを呼んだ。傍にいた和真の膚が震え、背中の筋がぞくぞくと蠢く感じがあった。
「畏けくも天地大龍王神 祓い給へ浄め給へと 畏れみ畏れて曰す」
 続けて腹の底に響くような八束の朗々たる声が響き、再び、拍手が打たれると、それも直ぐに収まる。
「言霊か」
「自然と気が澱む場所だからな。こうしておけば、暫くは溜ることもなく、あやかしも近付くまい」
「念をいれるのだな」
「ないに越したことはないからな」、と八束は静かな声で言った。「一昨年の冬はこれがとても役に立った」
「多かったのか」
「ああ、予想以上にな。毎日、実戦が続いた。昨年はそうでもなかったが、四組の方は大変だったようだ。何度か、救援にも出た」そう答える八束の表情は静かなまま変わらない。「こういった場所に限らず、自然の中に不用意に踏み込めば、こちらも命を落しかねない。このような場所で暮していると、壗ならぬ方が当り前だ。だからこそ天地の恵みに敬意をはらい、生きていくだけの知恵も技も身に付く」
 嗅ぐ空気も足下から身体に流れ込んでくる土地の持つ息吹のようなものも、都とはまったく違う。それは泥臭くも力強く、この地を守る護戈衆たちにも影響を与えているようだった。
「笹霧という隊士には会ったか」
 ふいの八束からの問いに、和真は頷いた。
「ああ、午後から呼ばれていてな。彼の一族の誰かが会いたいと言ってきた」
 すると、ほう、と感心したような返事がある。
「彼は北からの移民の一族の出だが、我々とも考え方が少し違う。話を聞くだけでも、面白いかもしれん」
「なにか、託宣のようなものがあると言っていたが」
「ならば、聞く価値はある」
「そうなのか」
「我々の知る事はほんの僅かであると感じることもあるだろう」
 淡々とした表情で言う剃髪の隊士は、それこそ託宣めいて聞こえた。

 午後、和真は約束通りに笹霧の案内で、彼の一族の者に会いに出掛けた。
 晴天の空の下、土と草の匂いも青く、明るい陽射しに暖められた風が運んでいた。雲雀が青い空に向かって高い鳴き声を放ち、土筆が顔を出したばかりの土手の上を、二羽の蝶が戯れるように飛び交っていた。彼等の足音に驚いたか、一匹の獺が茂みから茂みへ素早く走っていった。
 うつらうつらと船を漕ぐような長閑な風景の中を、和真と笹霧のふたりは走ることなく歩いていた。
「その『婆さま』とはどういう人なんだ」
「婆さまは、言うなれば、一族の長に近いかな。婆さまの言う事は絶対ではないけれど、皆、従う」
 和真の問掛けに、笹霧は口調もゆったりと答えた。
「一族って言うのは」
「一族は一族だ。先々代の頃に北の国から戦を逃れて移民してきた」
「ああ、八束さんからそんな話を聞いた」
「そうか。彼も幾分、西国からの移民の血が流れているそうだから。俺等のところは一族内での婚姻ばかりだから、一族は一族のまんまだな。元は家畜を追って、あちこちと移り住む生活をしていたそうだ。だから、国を離れる事にもあまり抵抗はなかったみたいだ。ここに来てからも、あちこちと転々としたし。今は、落ち着いて暮らしているが、それも良いんだか悪いんだかだ」
「そうなのか」
「ああ。定住が常だった一族は、やはり、故郷を離れた事に抵抗なんてものもあるようだ。不安もあるが、先祖の墓や志を置いてきた後ろめたさみたいなもんがあるらしい。それでなくとも、言葉や風習の全く違う土地に慣れるまでに色々とあるのが普通だし。だから、馴染もうとするうちに一族の他の血も混じるようになる」
「色々と苦労もあるんだろうな、別の土地に移って暮すというのは。俺が言うのも変だが、差別なんてものもあるだろうし」
「うん、そうだな。でも、頑固でもあるんだろう」そう言って笹霧は、和真に白い歯をみせた。「この頭も一族の風習で、成人した男子の印なんだ。こういうのを未だに続けているところとかな」
 そう言って、自分の二色に染め分けた髪を指さした。
「そうだったのか」
「ああ、俺等の代の連中は、馬や牛の飼い方なんかも知らないし、たいして一族としての自覚もないけれど、年寄り連中は子供達に昔の事を話して聞かせるし、こういった風習も細々と残っている。他の移民の中にもそれぞれに、入れ墨を入れたり髪を剃ったりとあるもんさ。それが一族の印であり、存在の証みたいなものなんだろうな」
「そういうものか」
「護戈のこの刀みたいなものだ。重いが、ないと心許ない」
「ああ、そうか」それはなんとなく和真にも分かる。左指先で柄を撫でた。「手放すとなれば、相当の覚悟が必要なんだろうな」
「うん、捨てなければ命がない、と脅されたとしても、簡単に捨てられるもんじゃない。長年、培ってきた分だけな」
 笹霧も頷いた。
 小川の対岸を、五色の幟を立てた一群が鐘を鳴らしながら一列に進んでいくのが見えた。賑やかではあるが、祭りらしくもなく人々に明るさはない。
「あれは?」
「あれは、近くに住む西国からの一族で、弔いの列だ。誰かが死んだんだろう。一族ごとに祀るものも違うし、弔いの仕方も違う。一族によっては、信心が絶対的な掟に近いものである場合も少なくない」
「へえ」
「山の民でな。なんと言ったか、仏を祀っている」
「今はどこもかしこもそうだな」
「元々、仏と呼ばれるものは、全部、移民や流民が持ち込んで広まったものだろう」
「そうだな。都でも、何かあれば『龍神さま』だが、仏の信仰も当たり前になりつつある。だから、必要ないと分かっていても、経をあげさせなきゃならんかったりもする」
「それは面倒臭いな」笹霧は苦笑した。「仏は何者だろうと救う、というのが売りだからな。どういう形であれ、救われたいと願っている者が多いという事なんだろう」
 樹木の間を細く通る道に差し掛り、厚く降り積もった枯葉を踏みしめながら、和真達は先へ進んだ。萌黄の作る木漏日が、太く盛り上がる木の根道を斑に照らしていた。
「君らは信仰するものは持たないのか」
「ないわけではないが、具体的なものは持たないな。ものの御霊を敬い、偶には祈りも感謝も捧げるが、神仏を信仰するのとは、少し違う」
「お告げというのも、そのひとつか」
「そうだな。昨日、あやかしか、と言われたが、実のところ俺にも分からないんだ。婆さま達の話では、一族の先祖の霊であったり、そこら辺の石や草に宿る霊魂みたいなもんであったりするそうだ。今日、誰々が来るとか、そいつが悪い奴か良い奴か教えてくれたり、あっちの崖が崩れるから行かない方が良いとか。一族で聞こえる者は、必要があれば、それを他の者に伝える」
「託宣とは違うんだよな」
「うん、絶対ではないからな。中には他愛ない内容のものもあるそうだから」
「今日、俺が呼ばれたというのも」
「何かは知らないが、なにか伝えたいものがいるって事だろう。でも、あまり深く考えなくていい。声は絶対じゃないし、それを聞いてどうするかは本人次第だ。聞きたくなければ聞かなくたって、それ自体で何があるわけじゃない」
「そうなのか」
「ああ。ほら、見えてきた。あそこだ」
 木立を抜けた先に、一本の大きな樹木が立っているのが見えた。その脇に寄り添うように、こじんまりとした田舎家が一軒あった。


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