kumo


廿陸

「大丈夫か」、と問われ、「大丈夫だ」、と和真は答えた。
 言葉は短くあったが、双方の声は沈んでいた。そして、帰る道の足取りも重い。詳しい事情を知らぬ笹霧でさえ、老婆との遣取りの内に何かを抱えこんでしまったようだった。
「笹霧さん、さっきの話は」
 和真が言うと、笹霧は、「分かっている」、と答えた。
「今日の婆さまの言葉は、みな君に渡したもんだ。関係ない俺や姉ちゃんがほかで話す事は許されない。話せば、声の主の怒りに触れる。だから、喋らない」
「そうか。なら良いんだ」
 なあ、と呟くような声がかけられた。
「君ならどうする。あやかしとなった者を斬れるか。元は人であるものを」
「さあ、どうだろうな」
 あの時、菊に刃を向けた自分ならば斬れるかもしれない、と和真は思う。だが、今は、迷いが生じていた。
 そうだな、と笹霧も歩きながら考え込むようにして頷いた。
 和真は言った。
「昔、叔父に言われた事がある。七丿隊から戻ってきて間もなくの頃だ。刀を指して、『これは元来、人を殺める為の道具だ。持つ時が来たら、この重さを縛めとして心得ろ。決して、使い方を間違えてはならない』、と言われた。その時は何を言っているんだと思ったが、今なら分かる気がする」
「叔父さんも後悔してたんだな。翡翠という女を斬った事を。任務であっても」
「だろうな」
 笹霧から、更に問いかけがあった。
「君が知るその娘に導き手はいるのか。声を聞く者としての」
「俺が知る限りはいないな。というより、あいつがそんなものを聞いていることを知る者も他にいないだろう」
「それは、まずいんじゃないのか。心が封じられているとはいえ。姉ちゃんに言わせると、厭な声もあるんだそうだ。悪しき言葉を語るものもいるって事だろう。だから、聞く者は、本当に良き御霊の善き声か判ずる事が出来るようになる迄、経験多き者に教えを乞う。でなければ、取り込まれる。取り憑かれる、と言うのか」
「取り憑かれる……」
「一度、取り込まれたものから魂を引き戻すのは至難のわざだ。出来る者は滅多にいない。出来たとしても、数日がかりで命がけだったりするしな、憑かれた者も引き離す者も。場合によっては、君がその娘を斬らなくてはならない羽目になるかもしれない。出来るか」
 いや、と和真は答えた。
「分からない」
 あやかしとなった沙々女に刃を向けることが出来るのか? 果たして、斬ることができるのだろうか?
 今の和真には、自信をもって答えられることは何ひとつなかった。
「あいつの事は本当によく分からないんだ。こどもの頃から知っているが、何を考えているのかさっぱりだ。それが、ここへ来て色々な話を聞いて、正直、俺も混乱している。どうすれば良いのか分からないんだ」
 労る眼差しが、彼に向けられた。
「大変だな」
「ああ、本当に」

 ――波が来る。大きな波だ。

 老婆の最後の言葉が、和真の耳に残る。

 ――大波は、更なる新しい波を生みだすしの。溺れぬよう、しっかりと己の魂の目を見開き、耳を澄ましなされ、お若いの。真に己を護るものの声を聞き、差し出される手を見失わぬようにの…… 


 見上げた蒼穹が、恨めしくなる程に眩しかった。


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