kumo


 和真が七丿隊で迎えた同じ日の朝を、二丿隊ではいつも通りに過していた。
 起きだした隊士達は身支度を整え、用意された朝餉を囲んだ。
 はつは厨で給仕と片付け物に精を出し、加世は、破れた道場着をまとめて持ってきた若い隊士に一頻り説教をしたあと、繕い物として受け取った。源八はまだ上手く利かぬ手を庇いながら庭先で薪を割り始めた。
 黒羽を始めとする隊士たちは、用意が整った者からそれぞれ詰所へと向かい、別棟で未だ回復しない旭日を治療する山瀬だけを残し、治療班も後に続いた。
 最後に寮を出たのは、稲田だった。
 詰所へ着いた二丿隊隊士たちは、稲田だけを残し、朝一番の巡回に出た。暫くは、何事もなかった。そこへ、一晩を寮で過して回復した太吉がやって来た。
 平身低頭で引手の男は稲田に礼を言い、ついでの問い掛けをした。それを聞いた稲田は太吉に留守を頼むのもそこそこに、詰所を飛び出た。そして、普段にはなく、寮への道を全速力で駆け戻った。
「はつさん、沙々女ちゃんがいないんだって!?」
 着いてすぐに見かけた姿に、稲田は怒鳴る声で訊ねた。途端、女の眼からみるみる内に大粒の涙が溢れ出た。
「隊長さん!」
 稲田の声が聞こえたのだろう。ばたばたと足音も高く、加世も走り寄ってきた。
「先生にも声をかけてそこらを捜したんですけれど、どこにもいなくて。詰所に呼んだんじゃないんですか」
「いいや」
 はつが、わっ、と泣き声をあげた。
「あたしがちゃんと気を付けていれば……あれだけひとりにしないように言われていたのに!」
 滲む声も途切れる。表面上は落ち着きを取り戻したように見えても、菊の一件で残された傷痕は、未だ皆の心中深くに残されている。はつにしても、あの出来事を思い出すに容易いに違いなかった。
 稲田は引き摺られそうになる気持ちを堪えて、その背を軽くさすった。
「はつさんのせいじゃない」
 とまだ泣かずに堪える加世を見た。
「いないと気付いたのはいつだった」
「皆さんが出て行かれてから暫くしてです」
「半刻前ぐらいか。最後に姿を見たのは」
「あたしたちもバタバタしていたから……お膳の支度をしていた時にはいました」
 涙目になりながら、加世は崩れ折れそうになるはつを支えた。
「稲田くん」
「先生」
 続けて現れた姿を稲田は縋る思いで見るが、黙ったまま首が横に振られた。
「気配の薄い娘だから、ひょっとして、と思ったんだが……」
 己の広げた神経の片隅にもかからない存在に、それでも一縷の望みを託していたが、それも断たれた。
「これが玄関脇に落ちているのを見付けた」
 山瀬は手に持った房付きの鈴を手渡した。
 稲田は、はっ、と山瀬の顔を見た。
「先生、お菊ちゃんが死んだ時に、これと同じ物を身につけていたか」
「いいや、なかった」
「確かか」
「ああ。事切れたことを確かめたが、あれば気付いただろう」
「或いは、これが印だったか……」
 稲田は呟き、下唇を噛みしめた。
「それで、どうする」
 山瀬の問いに、稲田は顔をあげて答えた。
「他の隊にも連絡をして捜索を続ける。なんとしてでも、あの娘は無事に生きて取り戻す」
 それからの稲田の行動は早かった。
 急いで詰所に戻り、緊急の呼子笛で巡回中の隊士たちを呼び戻した。
 沙々女の姿が消えた事を告げ、騒めく隊士たちから、その姿を最後にどこで見かけたか詳細を聞き出した。そこで、皆が移動していた六つ半の前後、半刻の間にいなくなったと知れた。沙々女はどうやら、庭から表玄関を掃除している最中に姿を消したらしい。
「誰か詰所への途中、船か籠を見かけた者はいるか」
「確か、苫舟が一艘、水路を下っていくのを見ました」
 答えたのは坂本だ。
「あ、それ、私も見ました。釣りに出る時間でもないし、帰りにしてはこんな所を妙だな、とは思ったんですけれど」
 裏付けるように山里も言った。
「ならば、それか」
 稲田は頷くと、数人に各隊への事の次第の報告と捜索依頼の要請を言い付け、残る隊士たちに北方面を重点的に捜索するように言い渡した。
「もし、見付けたとしても、ひとりで相手をしようとするな。沙々女ちゃんを助けることを最優先にしろ。俺は亞所へ行く。黒羽、その間の指揮は任せる」
「はい」
「あのう、あっしは……」
 おずおずと進み出たのは、太吉だった。
 ああ、と稲田は思い出した様子で頷くと言った。
「君には申し訳ないが、ここで留守居をしていてくれないか。何かあれば、すぐに頼めるように」
 いつにない早口に、太吉は気圧されながらも頷いた。
「では、先に行く」
 稲田は、再び、詰所を飛び出して行った。
「それぞれの持ち場を再確認する」
 黒羽が凛とした声を張り上げた。それからすぐに、二丿隊隊士たちは各方面へ散っていった。


back next
inserted by FC2 system