kumo


 背後に戻ってきた慣れた気配に、水無瀬は肩越しに振り返った。
「配置、完了致しました。各隊からも滞りなくとの連絡が入っております」
 そうかい、と水無瀬は頷くと、再び副官に背を向けた。
 下に向けられた視線の先には、水に満たされた玻璃の鉢があった。その中で、赤と黒の小さな出目金が二匹、ひらひらと泳いでいる。
 丸い身体に丸い目を持つ金魚達が、水中で自慢げに尾鰭を棚引かせて泳ぐ様は愛らしい。
 女の細い指先が、小さな筒から餌を摘んでは、水面に撒いた。
 藻の間をたゆたっていた金魚達は、気付いた先から浮上すると、我先にと丸く開けた口で吸い込むようにして餌を呑み込んだ。
 水無瀬は愛嬌あるその様子に微笑み、餌をもう一撒きした。
「いつも思うんだけれど」、と言うともなしに言った。
「餌をどの位やれば良いのか迷うね。ひょっとしたら、足りていないんじゃないかと思ったりするよ。もう少しあげた方が良いんじゃないのか、とかね。でも、鳴くわけではなし、表情はないし、腹を空かせているかどうかもはっきりしないしね」
「紅桜も朔月も健やかである事が、充分である証かと」
「そうだね。ただ、腹七分目で我慢しているのかもしれない。我慢できない事もない程度で」
「逆に過ぎて、病に罹らないとも限りますまい」
「そういう事もあるね。だから迷う」
 女隊長は立ち上がると、脇息の置かれた自らの場所に移動した。斜向かいの位置に、心持ち彼女の方を向いて座る端正な顔を見る。
「それで、どんな案配だい」
「落ち着いた様子で、隊同士の連携も問題なく行われています」
「そりゃあ、良かった。つまらない小競り合いが起きないかと、それが心配だったんだけれど」
「いなくなった娘を知る者が多いせいもあるのでしょう」
「そういや、あの峰唐山が懸想してるって話もあったな。理由はどうあれ、やる気になってくれるのは有難いね。しかし、それもいつまでもつか」
 そうですね、と沢木は玻璃の瞳に僅かに影を落として答えた。
「時が経ちすぎれば、乱れも出ましょう」
「どのくらいだと思う」
「早くて二日、三日」
 ふん、と水無瀬は鼻を鳴らした。
「そんなもんだろう。だが、他の娘達もいなくなってその位で見付かっている事を考えれば、悪くはない話だ」
「ですが、先の白木さまの話もありますので」
「ああ、狐の依巫ってやつかい」
「さて、或いは狐以外のなにかを下ろす為とも考えられますが」
「そうだねぇ、その為の器を捜していたとなれば、合点もいく。使えなかった娘に狐を憑かせて利用したか」
「はい」
「となれば、面倒だね。稲田のところの娘が当りの可能性もある。見当をつけたところで占者の口封じをしたか」
「それも有りえましょう。或いは、足がつきそうになった焦りからの行き当たりばったりの行動であるとも考えられます。こちらは、未だ憶測するしかないわけですから」
「まあ、どっちにしろ、早く取り戻すに越した事はないか。都外に出られでもしたら、それこそ打つ手はなくなるし。そうなりゃ、稲田も黙っちゃあいないだろう」
「はい」
「稲田の話からしても、相当、曲者のようだし、こっちの考えが読まれないとも限らない。人質を取られているぶん迂闊には動けないし、不利か。娘を使って騒ぎを起こした隙に逃げる算段かもしれないしね」
 形の良い人さし指が思案げに、赤い下唇をなぞるように動かされた。 誘っているようにも見える女の些細な癖に、沢木は表情も変えずに答えた。
「ここまできて、目的を達せずに逃げ出すとは思えませんが。先の二丿隊の一件にしろ、娘ひとりに起こせる騒ぎなどたかが知れています」
「確かに。けれど、笹舟も連中の仕業となると、護戈も標的に入れて相応の準備してきたと考えられる。多分、試しながらこちらの戦力、機動力を計る為かと思うんだが、果たしてそれだけなのかってのも怪しい。嫌な感じだよ。相手の真の目的も持ち駒の数も何も分かっちゃいないんだから。結局は、こっちこそ行き当たりばったりさね」
「お気に召しませんか」
 ふ、とした笑みを浮かべる沢木に、水無瀬は、「そりゃあね」、とひんやりとした流し目を送りながら答えた。
「無駄な事はしたくない性分でね。それに、待つのも性に合わないし。相手の出方を伺いながら回りくどく仕掛けるなんて、考えるだけで、まだるっこしいたらありゃしない」
「それは存じませんでした。心に留め置きましょう」
「そうしておくれ」
 水無瀬は脇息に凭れかかりながら、ふい、と床の間に置かれた玻璃の鉢に視線を移した。
「とは言え、虚仮《こけ》にされっぱなしってのはもっと嫌だからねぇ。動きがあれば、おのずと手段も見えてくるだろう。その為にも、餌をもうひと撒きしてくるかね」
「どちらに」
 立ち上がった水無瀬に沢木が問えば、
「ちょいと稲田の加勢に行ってくるよ。存外、あの男も立ち回りが下手だったりするから」
「丁度よい撒き具合でしたら、近く動きはありましょう」
 耳に涼しい男の声に、「そう願いたいね」、と女隊長は溜息混じりに答えた。
「我慢させるのも、存外、痛いもんだからね」
 答えるように鉢の中から跳ねる水音がした。


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