kumo


 惣三郎は、片手で軽々と持ち上げられた身体を放り投げられ、堅い床板に転がった。
 痛くはなかったが、周囲から立ち上った埃にくしゃみが出た。
「そこで暫く、頭を冷やしてろ」
「顕光さん、でも!」
「ガキの出る幕じゃねぇ」
「顕光さん!」
 ぴしゃり、と乱暴に戸を閉める音がして、その前の厚い戸も閉められる。
「出ねぇように見張ってろ」
 遮られた戸の向こうから、小さくなった声が聞こえた。
 ひとりになった惣三郎は、薄暗い中を見回した。
 埃っぽい中のそこかしこに、木箱やら色々な物がごちゃごちゃと置かれている。普段使わなくなった不要な物が、蔵の中も狭しと積み上げられていた。
 二丿隊より沙々女がいなくなったという知らせを受け、いてもたってもいられなくなった惣三郎は、飛び出して行こうとしたところを峰唐山に掴まり、ここに放り込まれた。
 惣三郎は、奥歯を軋ませた。
 ここでこうしている間も、沙々女がどうなっているか想像すると、じっとしてなどいられなかった。

 二丿隊を峰唐山と訪れた時、見知らぬ娘の死に顔が茜と重なって見えて涙が出そうになった。茜が死んだと聞かされて以来、哀しくはあったが、それまで泣きはしなかった。泣けなかった。亡骸を見たわけではなく、信じられなかった。茜はまだ生きていて、急に、郷か何処かへ行ってしまったように思えてならなかった。なのに、いきなり、現実を突きつけられたような気がした。
 その時は堪えたが、別室に連れていかれひとりになった時、耐えるにも辛くなった。が、泣くわけにはいかない、とそれでも我慢した。泣けば、これまでのすべての気持ちが押し流されそうで、悔しくて泣けなかった。
 そんな彼に、沙々女は優しい声で訊ねてきた。
「寂しい?」
「寂しくなんかないです。顕光さんだっているし、他のみんなだっているし……」
「私は寂しい。お菊ちゃんにもう会えないから。すゑさんにも、母さまにも、もう会えないから」
 それを聞いて、この人も同じだ、と思った。独りぼっちだ、と知った。
 気が付いた時には、しがみついて泣き出していた。
 沙々女からは、とても良い匂いがした。温もりに、母親を思い出した。抱き締める柔らかい感触に、茜を思い出した。
 軽く、優しく背を叩く手が、今まで封じてきた気持ちを一気に押出した。

 あの優しい人を、茜と同じめに遭わせるわけにはいかなかった。これ以上、好きな人は誰も彼の前からいなくなって欲しくなかった。
 親をあやかしに殺され、親戚に預けられた身で取り敢えずは暮してはいたが、なにも出来なかった己への悔しさは消えなかった。遠縁であるという者たちに邪険にされたわけではなかったが、やはり、血の薄さに隔たりを感じた。あそこに惣三郎の居場所はなかった。辛かったことは忘れろ、と言われても、忘れられるものではなかった。逆に、愈々、思いは深く濃くなっていくばかりだった。
 だから、決心して、四丿隊に来たのではなかったのか。護戈で最も強いと言われる隊に。二度と同じ思いをしない為に。
 だが、またもや、茜を失ってしまった。
 惣三郎は、己の手を見た。
 肉付きも薄い上に小さく、手首も細い。峰唐山や他の護戈衆どころか普通のおとなとも比べようもないほどに弱々しい。彼にも、自身の非力さは分かっていた。
 だが、暇を見て、峰唐山や隊士たちに体術や剣の使い方を教わっている。敵わないまでも、躱して、沙々女を連れて逃げるぐらいは出来る筈だ、と思った。
 怖さはあった。しかし、何も出来ずに泣いて、後悔ばかりを抱えて過す辛さにも別れを告げる時だと思った。そうせねばならないと思った。
 少年は決意の眼差しで、天井近くに開いた小さな格子窓から覗く空を見上げた。


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