kumo


拾伍


 続くうららかな陽射しは季節の色を濃くして、散り初めの花弁の中、男たちはそれぞれの仕事に精をだし、女たちは洗濯をしながらの井戸端会議に興じていた。子供たちは身も軽く外を駆け回っては、明るい笑い声を辺りに響かせる。
 稲田が海風寺にて立ち回っている頃、都では何事もない長閑な朝を迎えていた。
 だが、亞所周辺にこれまでになく多く姿を見せている護戈衆に、それとなく不安を掻立てられる者も少なからずいた。
 その頃の水無瀬の表情には、まだ余裕があった。
「隊長、四丿隊がまだ姿を見せておりませんが」
「ほうっておけ、始めから数にはいれてない。必要あれば、勝手に出てくるだろう」
「三丿隊よりの伝令で、白木隊長は所用の為、到着が遅れるとのこと」
「あいつもか。まったく勝手な連中だね。遅れるのは白木だけか」
「はい。西の門以下の備えは既に完了しております」
「よし。油断なくかかれ」
 亞所大橋を西に臨む空いた一角。
 そこには立浪紋が大きく染め抜かれた天幕が張られ、一丿隊隊長、水無瀬はその内にあって部下たちに指示を出していた。
 と、そこへ、二丿隊副隊長である黒羽が顔を出した。
「二丿隊、警備体制、整いました」
「ああ、御苦労。稲田からなにか連絡はあったかい」
「いえ、未だなにも」
 固い中に憂いを含める表情の黒羽に、水無瀬は微笑んでみせた。
「心配はあるだろうが、信じて待ってやれ。そして、信頼に応えろ。私も頼りにしている」
「はい」
 最初の伝令が届いたのは、その時だった。
「南水門外に多数の笹舟を発見! その数、およそ五十から百! 既に一部からあやかしが現れ、現在、二丿隊隊士と三丿隊隊士二名が応戦中です!」
「早速、おいでなすったね」
「参ります」
 黒羽は駆け出す。
「助勢しておやり」
 水無瀬の一声に、傍らにいた沢木も頷くと、すぐに姿を消した。
「すぐに他からも来るよ! 各配置、陣形を整え、守備を固めろ!」
 残った一丿隊隊長は、声を張り上げた。

 南水門は、亞所正門から南へ真直ぐ行った先、堀の二重め半ばに位置していた。
 堀には何箇所かこのような水門が設けられており、水量に合わせて調節を行っている。雪解け水の流れ込むこの時期には、半分以上閉じているのが常だ。
 しかし、笹舟程度の大きさのものは楽にすり抜けてしまう。水門を完全に閉じるにしても、それなりに時がかかった。
 確かそこには佐久間がいた筈だった。佐久間も決して腕が悪いわけではないが、五十や百ものあやかしを目の前にしては溜ったものではないだろう。
 急ぐ黒羽の横に並ぶ者がいた。一丿隊、沢木だった。
「こちらは私が引き受けます。君はこのまま上流へ向かって、出所の確認を。おそらく、そんなに遠くはない筈」
「分かりました。お願いします」
 実際、沢木がどのような戦い方をするのか黒羽は知らなかったが、腕がたつ、という噂は聞いている。それでも、大丈夫なのか、と危ぶみはしたが、水無瀬の采配あっての事だろう。指示に従い黒羽は市中へ、沢木は堀を突っ切る方向へと二手に分かれた。
 民家の屋根の上に飛び移った黒羽が案じて南水門の方向に眼をやれば、堀壁が土煙をあげて大きく崩されるところだった。
 意図したものか、そうでないものか。しかし、堀の水がそこで塞き止められたのは確かだ。そして、その瓦礫の上に立ち上がる、佐久間と三丿隊隊士らしい人影を見付けた。
 堀の内側はあやかしの放つ瘴気に黒く煙り始め、隊服の藍も隠れるほどだ。予想以上の数のあやかしが溢れ始める中にあって、ふたりの隊士は逃げることなく立ち向かい、たこ殴り状態に刀を振るっていた。
 佐久間にしては珍しい、気合いとも罵声ともつかない声が、離れた位置にいる黒羽の耳にも届いた。三丿隊の隊士も、白木が意匠したものか、半円形の二本の刀を飛び道具として使い、善戦しているようであった。が、やはり、数に負ける。
 加勢すべきか、と一瞬、迷う先に、堀を貫く一筋の炎がたって見えた。
 出所は、と見れば、到着した沢木が放ったものだった。続けて、第二波が放たれる。
 炎は点を線で結ぶかのようにあやかしのみを的確に狙い撃ちし、数多くを灰燼へと変えた。
「凄い……」
 黒羽は、思わず感嘆の声を洩らしていた。
 実戦で炎を使う隊士は少ない。他の要素に比べて効果は高いが制御が難しく、発生させるにもこつがいる。その上、下手をすれば、周囲を巻き込んでの大火事にもなりかねない。
 ところが、沢木はその上、風をも同時に操っていた。炎を風の流れに乗せ、正確に移動させている。
 この分ならば、彼に任せて大丈夫だろう。
 そう確信した黒羽は身を翻すと、先を急いだ。
 ところが。
 移動する短い間にも、騒ぎが急速に広がりつつあるのが分かった。
 足元から助けを求める声や、悲鳴が聞こえてくる。通りのあちこちに逃げ惑う人の姿や、避難を促す柝繩衆の姿が多くあった。
 緩く吹きあがる風の面に乗れば、きな臭い匂いがした。眼下に見下す都のあちこちから、煙が高く立ち昇っている。
 これもあやかしの仕業か。あちこちの民家から火があがっていた。爆ぜる音を響かせながら、舞い散る薄い花弁を巻き上げ、焼いていた。その間を火消し人たちが、息吐く間もない様子で走り回っている。
 その中で、黒羽は堀に下りる階の下に、ひとりしゃがみ込んでいる小さな女の子を見付けた。怯えたようすで頭を抱えて蹲っている。その子を狙い、背後の街路樹から『釣瓶火《つるべび》』が下りてきていた。
「あぶない!」
 その声も喧騒の中では届かない。
 黒羽は宙で向きを変え、今まさに少女の小さな頭が喰われようとする寸前で、釣瓶火を散じた。
 そうなって初めて、女の子は危険に気付いたようだった。安心もしたか、降り立った黒羽の前で、声をあげて泣き始めた。
「もう大丈夫だ」黒羽は女の子の頭を撫で、出来るだけ穏やかに話しかけた。「安全なところまで連れていってあげよう」
「おっかあは」
「はぐれたのか。大丈夫だ。きっと、無事だよ。必ず会える。」
 背中を向け、さ、と促すと、泣きじゃくりながら首にしがみつく感触があった。かさり、と袖の中で音がした。
「しっかり掴まっていなさい」
 とん、と軽く近くの屋根に飛んだ。耳元で息を飲む音がした。「怖いかい」、と訊ねると、ううん、と首を横に振る返事があった。黒羽も安心して次の屋根に移った。
 首にしがみつく力が少しだけ強まったが、わぁ、と小さな歓声もあがったが、すぐに、あ、という小さな声になった。
「お坊さまだ」
「お坊さま? どこに?」
「あそこ」
 少女の指先が、右斜め下を指さした。


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