kumo


廿四


 振るう刀の前に、また一匹、あやかしが塵となって消えた。
 激しい音に驚く水鳥の鳴声と羽ばたく音が響いた。
 勢いを増して燃えあがる炎が、奮闘を続ける護戈衆たちの頬を赤く染め、水と夜空を焦がす。
 熱気に当てられながら、黒羽は、ぐるり、と周囲を見回した。
 袖搦みの尖った先端を向けた山吹色の法被姿の男たちが、彼を取り囲んでいた。
 その顔は全てが同じ。似ているのではなく、背格好からほくろの位置まで全く同じ男だった。
「狐めがッ!」
 怒鳴る黒羽の声は、鍛え抜かれたどんな刀よりも鋭かった。

 ふたたび海風寺に向かおうとする黒羽を止めたのは、沢木だった。
「君には無理です」
「どうして、そんな事が言えるのです」
「あやかし相手ならば兎も角、君の剣は人相手には不向きです」
「あなたに何が分かるのですか!」
「分かります。僧を捕えた手腕は見事ですが、斬りはしなかった」
 水鏡を思わせる瞳が、黒羽を見つめた。
「あれは、」
「君の剣は、あくまで守る為の剣です。敵でさえも憐れむ。それでは今の場合、他の者を助け出すどころか、自らの命も危険に晒す。生き残れたとしても後悔に苛まれ、自身を滅ぼす結果になるでしょう。前任の一丿隊隊長のように」
 傍で聞く稲田も水無瀬も、黒羽の視線を避けるように瞳を伏せた。
「君の強さは疑いようのないものだ。君には当たり前のものでも、誰もが持ちえるものではない。だから、こんな所で穢す必要はない」
 声を荒げることなく言う沢木に、より苛立ちが募った。
「貴方になら出来るというのですか!?」
 その問いには、答えがなかった。
「参ります」
 黙って水無瀬が頷き、背を向ける男に黒羽は尚も怒鳴った。
「守るべき者が守られて、それでも強いというのですか!?」
「黒羽」肩に触れる手が言った。「彼に任せよう」
「でも! それでも、私は……」
「弁えろ、黒羽。おまえはおまえの役目を終えたわけじゃない。必要とされる場に背を向けるつもりか」
 稲田から、抑えられた厳しさが伝わった。
「しかし、ひとりでどう戦おうというのですか。やつらの強さは半端じゃない! それは隊長だって御存知でしょう」
「なに、大丈夫さ」、とどこか投遣りな一丿隊隊長の返事があった。
「あいつは強いよ。人相手ならば尚更」
「彼は一体? 徒者ではない事は確かなようだけれど」
 稲田の問いに、水無瀬は瞳を合わせる事なく答えた。
「奴は、元々、特別警備隊の中でも、八老師直近の任についていた」
 二丿隊のふたりは、同時に息を呑んだ。
 つまり、八老師のいずれかひとりについて、身辺の護衛を任されていた者という事だ。ここ青藍の国にあらずとも、最高位の決定権を持つ者の命を狙おうとする不逞の輩はいるものだ。八老師もその例に洩れる事はない。
 国を混乱せしめようとする者。
 名を売り、己が主張を喧伝しようとする者。
 己の利に反する決定をした事への逆恨みをする者。
 他にも様々な理由で、不埒な行為を実行しようとする者はいる。特別警備隊の中でも八老師直近であるというその意味は、そういう輩どもから八老師を影より護る役目を負う者たちという事だ。しかし、その存在自体、一般では秘密とされている。出自、具体的な仕事内容その他は一切、護戈である彼等も知るところではない。だが、詳細は知らずとも、人を殺める技に長けた者に違いなかった。任となれば、人の命を奪うにも躊躇しないだろう。
「ちょいとした経緯《いきさつ》あってね。あたしに任された」
「随分と怖い部下を持ったもんだ」
「このことは、他言無用だよ」
「分かっているよ」
 やれやれ、と声に出す稲田に、水無瀬は、ふ、と笑みを溢した。
「さぁ、あたしらはあいつが帰れる場所を守るよ。ここからが正念場だ」
 それでも、黒羽は握り拳を緩めることができなかった。

 気合いの声と共に人の姿をしたものを、一気に刃の塵と化す。
 黒羽の剣に躊躇いはなかった。
 次から次へと湧いて出るあやかしを前に息を荒くしながら、闘志が萎える事はなかった。悔しさと怒りが、全身を突き動かしていた。
 沢木と自分の何が違うのか。
 何故、彼には出来て、自分には出来ないと言うのか。
 沢木の言う強さとはなにか。
「往ねッ!」
 いきなり、背後から飛びかかってきた男がいた。しかし、鈍い動きに黒羽は難なく躱した。躱しながら、男がまだ生きた人である事に気付いた。
 咄嗟に刀を退いていた。拳で男を突き、気絶させた。
 ハッ!
 嘲笑の声が黒羽の口をついて出ていた。


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