kumo


廿伍


 遠ざかる戦いの気配を背後に感じながら、和真は本堂前に立った。
 入り口は、見るからに重そうな金門で塞がれているが、結界が張られている様子はない。音はなく、気配も感じなかった。しかし、沙々女は間違いなくこの中にいると感じる。
 和真はひとつ大きく、身を震わせた。大きく息を吐いて、金門中央の丸い金具を掴むと、手前に引いた。
 きぃ、と板の軋む音が響いた。
 刀を抜き、続く障子戸をゆっくりと開いた。油断なく、一歩、中へと足を踏み入れる。
 急襲はなかった。が、途端、目に映った光景に全身が強ばった。
 広い堂内を照らす灯は二本の蝋燭のみと薄暗く、その上、充満した瘴気が室内を煙らせていた。
 夥《おびただ》しい数の人の髑髏が積み上げられ、ふたつの山を作っている。その間、中央には、獣の頭蓋骨が厨子の上に恭しく飾られていた。
 否、それは獣というにも異様な形をしていた。頭頂はひとつにも関らず、二対の目、ふたつの鼻、ふたつの口を持っていた。
 ひとつの頭にふたつの顔をもつ獣の髑髏。中央で溶け合いながら、左右に分かれたふたつの獣の頭が存在していた。
 人と獣の頭の骨ばかりが飾られた奥、堂内の最奥の壁際に沙々女はいた。
 両腕を広げるようにして、上から吊り下げられた綱に支えられて立っている。頭はぐったりと垂れ、顔を覆う長い髪に表情は見えないが、大きく乱れた白い襦袢には、滲んだ黒い染みがそこここに散っていた。
「沙々女っ!」
 和真は叫んだ。
 長い髪が僅かに揺れた。生きてはいるが、返事をするどころか顔を上げる力さえない様子だ。
 代わりに、咽喉の奥で笑う男の声が応えた。
 何故、気が付かなかったのか、どっしりとした体格の男がひとり、沙々女の脇に立っていた。朽葉色《くちばいろ》の麻らしい粗末な衣服を身に着け、僧形らしくない。だが、これが頭か、と和真は名乗らずとも知った。
「貴様、何しやがった」
 芳西は答えず、和真に見せつけるように、傷だらけの娘の腕を舐め上げ、手を懐に差し入れて胸の膨らみを撫で回した。緩んだ胸元の、傷のついた肌も曝される。
「てめぇっ!」一瞬にして、和真は我を忘れた。「今すぐ離れろっ! それ以上、汚い手で触るんじゃねぇっ!」
 激しく床板を踏鳴らし、一気に芳西との間合いを詰めた。
 詰めた筈が、髑髏の前で弾き飛ばされた。受け身を取る余裕すらなく、和真は床に叩き付けられた。
 何が起きたか分からない、あっという間の出来事だった。
「どの手の事を言っているのかね」
 つまらない冗談を聞いたと言わんばかりに、芳西は言った。
 いつの間に前に出たのか、その姿は沙々女と髑髏を背にしていた。
 より近付いて見た顔は、おそらく、稲田よりも年上だ。しかし、衰えを感じさせない体付きが衣の上からでも判断できた。そして、外の三人に比べるまでもなく強い。
 ひとつ得心をした和真は立ち上がると、ゆっくりと周りこみながら長く間合いを取った。
「最近の若い者は、目上の者に対しての口のきき方がなっていない。情けない事だ」
「たかが、『護戈崩れ』に払う敬意は持ちあわせちゃいないんでね。身元を偽り、流民であったのがばれて放逐されたか」
 護戈の素養を持ち、訓練を受けた者の動きだ。和真はそう確信していた。
 しかし、護戈になる以前の訓練中に抜けたものだろう。訓練の厳しさに耐えきれず辞めていく者も多くいるそのひとりだろうか。否、今みた動きを会得しているのであれば、それなりに続けていられた筈。ならば、他の理由で辞めざるを得なかったのだろう。例えば、西の地域にいたとなれば、真っ先に考えられるのが、流民であるという理由だ。
 審査を受けて入国した移民ならば可能だが、不法入国した身元が不明な流民は、会得した技を悪用される可能性が高く、そうしても取り締まるのが困難という理由から、素養があったとしても護戈にはなれない決まりになっている。それをどうにかして潜り込み訓練を受けたまでは良いが、途中で身元が発覚してしまったものだろう。偶にそういう者がいる、と笹霧より聞いた。
 不快げな表情が和真を見た。図星だったようだ。
「見限ったのはこちらの方だよ。たかが、護戈如きで納まる器ではないのだ、この私は」
「負け惜しみにしか聞こえねぇな」
 冷静さを戻した和真は、密かに相手の力量を計った。
 先ほどの動きからしても、芳西がただの護戈の成りそこないではない事は確かだった。
 しかし、貝塚の早さに劣る。
 峰唐山の力には劣る。
 決して、勝てない相手ではない。
 ちらり、と沙々女の様子を伺った先、
「どこを見ている」
 男の顔がすぐ目の前にあった。本能的に避けたが、二の腕の袖に一筋の傷を受けた。
 和真の背に、冷や汗も浮く。
「ほお、よけたか」
 余裕綽々の態度に、むかっ腹も立つ。が、気を引き締め直した。
「何故、こいつなんだ。護戈への当てつけか」
「違うな。これほど素晴らしい娘は他にいない。見目麗しいだけでなく、その血は素晴らしく清らかで、力に充ち満ちている。すべてを凌駕しながら、すべてを受入れる。真に仏の境地だよ。それを、ただの小娘たちと並べるは、実に愚か。護戈の見識も所詮その程度だという事だ」
「随分と言ってくれるじゃねぇか」
「真実を言ったまで。しかし、君たちには分かるまい。そうやって乱暴な口と態度で虚勢を張っても、内心は常に怯えている。群れては他者の影に隠れ、何かあれば責任を忘れ、素知らぬ顔で逃れようとする。他者を貶《おとし》める事で虚栄心を充たしながら、その実、己の足で立つことすらできぬ。見たまえ、今のこの状況を。誰もが他者を蹴落し、踏みつけ、己だけは助かりたいともがいている。老人、女、子供、皆、お構いなしだ。本来、守るべき立場の筈の役人共は、亞所に引き篭もっては震えるばかりではないか」
 和真の足下の床板が、ぎしり、と音を立てた。僅かに浮いた感触もある。所々、痛みの進んでいる箇所があるようだ。下手をすれば、踏み抜きかねない。
「あんたのしている事も、ただの弱い者虐めだろう」
「違う。これは慈悲だよ。悟りには、時には厳しさも必要だ。知らしめてあげたのだよ。己が如何に脆弱で、役立たずであり、愚かで利己的な存在であるかを。より強き者に従うべきであり、それを望む者であるという事を理解させる為に」
「他人を支配しようなど驕りが過ぎると思わないのか」
 能力を使おうにも建物内では入る風も頼りなく、致命傷を負わすには至らないだろう。他に使えそうなものに炎があるが、それは危険だ。それに、下手をすれば、沙々女をも巻き込んでしまう。
 和真は、内心で舌打ちをした。癪に障るが、全く、峰唐山の言う通りだ。しかし、だからと言って、直ぐに剣の腕が上がるわけではない。
「驕っているのは君たちの方だろう。誤解してはいけない。支配ではなく、新しき道を示すのだよ、この世の極楽浄土を作る為に。誰もが良き世を願い望む。それを叶えようと言うのだ。従属するしかない弱き者の指導者として、成そうと言うのだよ。これは天意だ。私は強者として、許された者として、使命を果たそうとしているのだ」
「その為に、亞所ごと八老師も殺そうって魂胆か。反吐が出るぜ」
 改めて覚悟した和真は、口の中に溜まった唾を床に吐き捨てた。
「てめぇの言う極楽浄土は、さぞかし地獄に近いんだろうな」
「やはり、愚かな」男は満面の笑みで答えた。「仏がいてこその極楽浄土ではないか」
「どういう意味だ」
「天はこの娘を私にお与えになった。それこそが、導きであろう。嘗て西の地で、護戈に無惨に散らされた麗しき娘と瓜ふたつの娘を」
「まさか、」
「間もなく自我も消えてなくなるであろう。迷いなく衆生を導く仏の器として、生まれ変ろう。私は仏と一体となり、人々を導く。その歓びはいか程の事か」
「そんな事、させるか!」
 和真は、大きく一歩を踏み出していた。


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