kumo



 開け放たれた座敷を通り抜ける風が、女の口から吐きだされた一筋の煙を連れていった。
 外は青空が広がり、流れるように燕が弧を描いて飛び去っていく。木槌の打つ音や、板を挽く音に混じって、人々が張り上げる賑やかな声があちこちから聞こえてきた。時折、笑い声も交じり賑やかだ。
 遠くからのそれを耳にしながら水無瀬は脇息に凭れかかり、目を細めて青々とした葉を繁らせる庭を眺めやった。
 都中を騒がせた事件から、早、ひと月が経とうとしていた。
 犠牲となった者の数は多く、住む家や家財道具など全てを失った者も少なくなかったが、それでも残った人々は早々に落ち着きを取り戻し、立ち直ろうと必死の努力を始めていた。混乱も絶望もあったが、それ以上に、生きる者の逞しさが感じられる光景を、あちこちで見られるようになっていた。
 あの夜、すべての人々が目にした光景は、絶望の中に希望の灯をともし、未だ人々の口に上っては更に大きく育っている。
 そういえば、と思い出したように水無瀬は言った。
「新しい刀は、明日、届くそうだ。随分と遅くなったが」
 とん、と煙管の中の灰を落す。
「役人の中には、斬られ死んだ坊主の事やらなにやら煩く言う奴もいたが、うまい事、うやむやの内にすんだよ」
「御配慮かたじけなく」
「いいさ。あたしも、気の利く部下にいなくなられては困る。正直なところ、一時期、どうなる事かと思ったからねぇ。まさか、連中があそこまで食付いてくるとは思わなかったから、誘った手前、内心、肝を冷したよ」
 そう答えながら、傍らの相変わらずの涼しい表情で座る副官に視線だけを流した。
 水無瀬個人を咎める者はいなかったが、それでも、都が半壊した責任を護戈に求める声があった。しかし、それ以外でも、役人同士の脚の引っ張り合いに似た、責任の擦りつけあいが行われていた。
「今回の事は、下手人以外の誰にも咎を求められるものではありますまい」
 沢木の言葉に、女隊長は思い出した様子で、ふふ、と笑った。
「爺さんも大概、腹に据えかねているようだったけれどね。けど、それが職分なんだから、あたしらの知ったことじゃないよ。それより」、と身体をいざらせ、沢木に向き直る。
「あそこで、一体、何があったんだい? いい加減、あたしにぐらい本当の事を話したって、罰は当らないと思うんだけれどねぇ」
「さて。全部、お話した通りですが」
 澄まし顔を前に、水無瀬は鼻先で軽く笑った。
「おまえと二丿隊の羽鷲が坊主をやっつけて、怨霊になったところに黒羽が来て。と、まあ、それはいいとして、あの洞穴の事さ。本堂裏手向こうに出来たでっかい穴の事だよ。なんでも、玄武の泉があった場所だったそうじゃないか。そこに、底も見えないほどに深い、正に龍が通り抜けたような穴があいたって言うじゃないか。北に立った光の柱といい、龍が何匹も現れた事といい、何か知っているんだろ?」
「さあ、それどころではありませんでしたので。地鳴りと揺れはありましたが、それだけです。龍が現れた事も、後から聞いて知ったぐらいですから」
「へえ、そんな言い訳が通用すると思ってんのかい。評定省は騙せても、あたしは騙されないよ。一番近くにいて何も知らないなんて話、あるもんかね」
「騙すなど滅相もない。燈台下暗し。近すぎて分からない事もあるものです。それでも疑われるならば、羽鷲くんに訊いて頂ければ分かりますよ」
 素知らぬ顔を通す男に、水無瀬は、ふん、と鼻を鳴らした。
「羽鷲は重症でそれどころじゃないだろう。まったく、どんな闘い方をしたらあんなになるのか。身体中の骨がやられていたそうじゃないか。その辺、羽鷲隊長とは似ていないな」
「さて、私もその時はその場に居ませんでしたが、それでも、善戦したのではないでしょうか。ただ、刀も通用しない半あやかしとなった者相手には、分が悪かったかと」
「ふうん、そうかねぇ。それにしたって、釈然としない事ばかりさ。なんでそんなヤツ相手に、ふたりがかりとは言え勝てたのか、とか、あの白い光の柱はなんだったのかとかね。調べようにも、辺りは瓦礫の山で、下手人の遺体さえ見付かっていないと言うし、勾引かされた娘は、なんにも覚えてないときた。下手人の師匠を名乗る狐ときたら、いた気配すらない。どこまで本当なんだか、疑われても仕方ないだろうさ」
「確かに。狐たちがどうなったか、その後、私も姿は見ておりません。怨霊の道連れとなったか、或いは、姿をくらませただけか。しかし、嘘は申しておりませんよ。勝てたのは、龍神の御加護があってというものでしょう。加えて、殺された娘たちの恨みもあったかと。我らの力量を超えた力が働いてこその勝ちには違い有りません」
 さらり、と表情も変えずに答える男に対し、女は顰めっ面になった。
「まったく、強情なもんだね。副官にそこまで信頼されないんじゃあ、あたしも終りさね」
「そんな事はありません」こどものように口を尖らせる拗ね顔を前に、沢木は瞳の色を掠める微笑みを浮かべた。「今は、あなたが私の止り木ですから。忠誠を尽くすばかりです」
「……また、おまえは、時々、分からない事を言う」
 水無瀬は立ち上がると、金魚鉢の前へと移動した。
 泳ぐ二匹の金魚をからかうように、器を指先で軽く叩いた。慌てて尾鰭を早く動かす様子を見ては、紅の唇に笑みを浮かべた。
「もう、夏だねぇ」
 沢木は部屋を通り抜ける風に吹かれながら、仕える上役の背を静かに眺めた。
「そうですね」
 振り返る事なく、水無瀬は風の声の返事を聞いた。




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